なぜ銀細工を始めたかと聞かれても困る。自分でもよく覚えていないのだ。しかもなぜかんざし?次から次へと作り始めたのは、去年(2005年)本郷で家族展をして、この時に葉巻ケースとかんざしを出したところ思いのほか売れた、というのがきっかけだ。この家族展、毎年開こうと思っている。
また、銀細工の店なので当然販売中です。☻は販売済み。
銀細工にあたって最初に手にしたのがはやりの銀粘土で、確かに容易に銀細工の道に入ることができる。ただし難点はコストで、ちょっとした物を作るのに何千円も飛んでいくのは一寸。すぐに銀の板材と丸線を使うようになって、銀粘土は銀板を接着するのに使うようになった。
作品名:上から
(1) ペンギンーサファイアポシェット小
(2) パスタトング ☻
(3) ケイタイ
(4) ペンギンーサファイアポシェット大
材料:紅木、銀、ルビー、サファイア、ジルコニア
宝石類はもちろん人造物なので誤解のなきよう。もっとも石の成分と質は、本物と同じなので別段ニセモノ、というわけではない。軸木は全て椿油でフィニッシュしている。
倉庫入り口へかんざしを作って家人に試してもらうと、どうも抜け易いという。確かに。そこで木を削るときにひねりを加えて抜け落ちるのを避ける工夫をしてみた。また、このあたりから銀のパーツを組み立てるのに銀ローを使うことにした。銀ローを使うことで格段に接続部分が丈夫になった。つまりほっそりとした物を作ることができるようになった、ということだ。銀の丸線の端を溶かして玉を作ることも覚えた。
作品名:上から
(1) 四季☻
(2) 唐草☻
(3) 氷割☻
材料:紅木、銀、翡翠
銀ロウをつかって銀の細線をつなげていくと色々な表現ができる。銀線を二本ねじり合わせたうえ花びらの一枚一枚を作って組み立てたもの。このあたりから木の材料としては黒檀、黒檀のなかでも木目の見えないほど黒い、真黒(マグロ)と言われている材料を使い始めた。黒檀は磨きをかけることのできる木で、緻密で固いのにねばりがある。好きになった材料だ。
作品名:華 (うめ吉に進呈した。使ってくれてるだろうか)
材料:黒檀、銀
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これまでは、銀だけだったので、石を使い始めた。ハンズに行けば各種の天然石が手に入るので、色使いにバラエティを持たせることができるのだ。
作品名:ほうずき☻
材料:黒檀、銀、ローズクォーツ
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軸の材料としては黒檀を使ってきたが、別にこれに限る必要はない。同じく固い材料として有名な鉄木、またの名をタガヤサンというんだが、これを使ってみることとした。タガヤサンは切った当初は黄色だが、すぐに酸化して黒くなっていく。細かな木目が好きな材料。
作品名:南国あるいは時計の溶ける場所
材料:鉄木、銀、赤メノウ、カーネリアン、オニキス
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アクセサリーだから鉄を使ってはいけない、という理由はない。ステンレスワイヤを使うことで、石を通す糸に弾力性をもたせてみた。
作品名:何か真っ直ぐなもの
材料:黒檀、銀、ステンレスワイヤ、赤メノウ、カーネリアン、オニキス
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最初は自分向けに作っていたクールビズ用ネックレットだが、この間家族展で売り出したら、思いのほか評判が良かったので、またバリエーションを作ろうかとおもっている。磨いた銀は可視光線の反射率が一番高い材質だ。というのは画像をうまく撮影できなかったいいわけだ。ランプの色が写りこんで赤っぽくみえるが、実際は白くみえる。
作品名:親父の渋い朝☻
材料:銀、オニキス
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「のだめカンタービレ」という少女漫画があって、実は愛読している。その12巻だったか、主人公の住むパリのアパルトマンの屋根裏部屋に住む中年の絵描きが、「僕の芸術は僕だけのものなんだー」と叫んで部屋を転げ回る、という場面があって、「その気持ち、よく分かるよ」と言いたくなる。
どんな場面かというと、この中年絵描きに初めて画商がついて、その画商からかかってきた絵の仕上がりを尋ねる電話を受けて、思わず逆上して「うるさい」と言って電話を切った後の場面だ。彼は、画商を通じて絵を売りに出す、という土壇場になって、自分の絵に値段、という評価を付けられることに、不安とあせりを感じて、「誰にも評価されたくない」という内面の声を、思わず叫びにしたのだ。
私もこの齢になれば、他人に何と言われようと、少しは傷ついても(本当に傷つくこともあるのだ。しかし、次の日には忘れることが分かっているので)、評価されることにもそれほど身構えなくても済む。で、何の話かと言えば、つい先日、本郷の画廊で二回目の家族展を開いたのだが、そこに出品する作品の値段をどうしようかと、迷ったときの話だ。つまり、二三週間も手間ひまかけて作った銀細工に、いくらの値札をつけるべきかだ。材料費よりは高い値段にしなければいけない。当然のことだ。
では手間賃をどうしようかと考えると、たとえ時給850円で計算しようとも、相当の値段になってしまう。「思い切ってつければいい」という声もあるが、万円単位のものが売れるとは思えない。「じゃ千円より少し高いぐらいに」。あまりに安すぎる。という具合だ。しかし売ってみないことには、自分のものが本当に他人が自分の財布をゆるめてまで買ってくれるだけの、価値のあるものかどうかがわからない。
結局、二千円から一万円程度の範囲で適当にかつ思い入れも加味して値段をつけたのだが、客をみていると、基本的には高い物は売れない。そして、一番思い入れのある所、どれだけ手間と工夫をしたか、については、誰も見てくれないのだ。当然のことで、簪の買い手である女性客が銀の加工がどうのこうの、と考える筈もない。自分に似合うかどうかだけだ。だから「僕の芸術は(言い過ぎ)、僕だけのものなんだー」と叫びたくなる気持ちも分かる。でも、期間中に一人ある男性が、「よく作ってあればある程、工業製品と比べられちゃうんだよね。長く使ってみて初めて違いが分かるんだよ」と言ってくれだのが慰めとなった。ありがとう、あんたいい人だよ。
とは言っても、半分くらいは売れたので、結果としてはまあまあだろうと思われる。尤も、手間ひまかけて作った私の簪より、二三時間で一個できる嫁の帽子が完売したのは、少し口惜しい。「やーい、アリンコよりキリギリスの勝ちだね」と言われても反論できないのだ。(2006.6.6)
倉庫入り口へ■ 浅草に進出
好きな街だから、浅草の話はこのページ(複数だからページズだな)のあちこちに書いてきた。まさるの天丼に、大黒屋の天丼だとか、うめ吉を貞千代で見たことだとか、浅草寺に寄進した話なんぞだ。その他にもちょいと話を浅草にふってみた、なんてのがページをめくると結構な数あった。
で、また浅草の話なんだが、ついこの前、観音様のお詣りの後、小路をぶらぶら歩いていたら、和風小物取り揃えております、という小体な店を見つけた。簪もあるようなので、ちょいとのれんをくぐったら、年のころ三十前後の着物を粋に着こなした、だが商家風の姐さんがいた。こっちが簪を作っているというような話をしたら、「あら、今度みせてくださいな」なんておあいそを言ってくれたので、その次の週に、手持ちの簪を全部持って、また訪ねてみたという訳だ。ところで、話は少しそれるが、このところ注意して見ているせいか、着物きている女性が、玄人筋なのか、素人なのか、素人でも踊りをやっているかどうか、なんてのが一目で分かるようになった。昔の人は着物の着方一つでその人の職業が分かったという話があるので、それに少し近づいて嬉しい。
で、話を元に戻すと、持って来た簪を十数本、女主人の目の前に並べてみせたら、「丁度、簪の数が少なくなっていたので、よかったわ、でもこちらの商売もなかなか苦しくて。こちらの取り分をかなり高くしたいんですが、それでよろしかったら、どうでしょうか」なんて話になった。こっちにしても、家に簪を置いていても、何にもならないので、こっちの取り分を決めておいて、それに店の方で掛けた値で売る、という話にまとまった。
店の名は「姫や」で、住所は浅草1-18-9、電話が03-3843-0576で、木、金と土日に店を開けている。場所は仲見世とオレンジ通りの間で、新仲見世の一本雷門通り寄りの小路の中程にある。気が向いたら寄ってほしい。算宝堂の拵えということで店に出してもらっている。というわけで、浅草に進出した話だった。(2006.10.2)
p.s.
11月3日に「姫や」に電話したら4本売れたという。次の日に、うきうきと請求書を持って浅草に出かけたのは言うまでもない。こっちの取り分の倍掛けで売っているのだが、ただ一品しかない、というところに価値を認めてくれる客がいる、というだけで嬉しい。(2006.10.6)
p.s.
「姫や」なんだが、先日(2007.8.18)作品が売れたかどうか確認がてら寄ってみたら、店賃が上がるので8月一杯で店を閉めるのだと、寝耳に水の話。5本置いてもらっていて1本しか売れていなかったので、代金をもらって回収してきた。店の掛け値は倍がけで、こっちの手取りは僅かだったのだが、浅草は好きな場所で、一本ずつでも売れるのを楽しみにしていたのに残念だった。(2007.8.30)
以前に「おいおい百件」に京の町家に住むなんて希望を書いたことがある。紙細工に妄想をふくらませた話だったが、取りあえず京都に行って住む、というあてが今のところない。数年前になるだろうか、京都の地球研で職員を募集しているのを知って応募してみたのだが、「採用不合格」という極めて簡単な通知をもらって、京都に住むというアイデアはあっさりと萎んでしまった。負け惜しみを言えば、日高敏隆氏のために作ったとも言える地球研の設立時は、京都市内の春日小学校だった建物に入っていた。仕事の関係で、当の日高氏をこの場所に訪ねたことがある。中々風情があった場所と建物だったのだが、郊外に作ったコンクリの建物に移転してしまったので、魅力が半減してしまった。
というわけで、今度は東京の下町にアトリエを持ちたいという妄想を練っているところだ。コンセプトとしては、銀細工他の製作のためのアトリエ、訪ねて来た客のために茶菓を供するあがり框、訪ねて来た友人と酒を酌み交わす部屋、目と心を休ませる坪庭、簡単な台所に便所と水浴び場、を最小の空間で実現した町家、だ。これを間口二間、奥行き五間の十坪の土地に建てたいと思っている。あれこれレイアウトを考えてみたが、十坪あれば何とかなりそうだ。以前にはアトリエなら床を木煉瓦にしようと思っていたが、やっぱり三和土かなと思っている。
倉庫入り口へ■ 石留めの始め
直径2〜3ミリのジルコンやルビーなどの石を銀に留める手法については、これまで手をつけてなかったので、練習がてら一つ作ってみた。銀を溶かしてから叩き伸ばすと、銀が硬化してひび割れができる。鎚目とひびが面白かったので、これに石を留めてみた。
石留めは、タガネで爪を立てる方法と、ハンズの店員に教わった地金をヘラで寄せる方法があるが、まずはタガネで爪を立ててみた。
作品名:小惑星 (2006.11)☻
材料:銀、ルビー、ジルコン
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何か、面白そうな文句をつけてみたらどうかと、思いついた。素敵な(と自分で思っている、あるいは誰かが思っている)女性につけてほしい。
作品名:Daisy-Crazy (2007.2)
材料:銀、ムーンストーン、ステンレスワイヤ
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■ 簪ー崩し
簪の材料は依然黒檀なのだが、この材料の丈夫なことをみて、全体を曲線で作ってみることにした。
作品名:あなたにシェリーを (2007.3)
材料:黒檀、銀、赤サンゴ、ガーネット、ステンレスワイヤ
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■ 簪ー再生
作った簪を浅草の小間物屋に卸していることは前に書いたが、その後、売れる物は売れたが売れないものは売れ残った。当たり前の話だが、やはり、売れ残ったものにはそれなりの理由があるようだ。第一は形で、二股のものは売れない。格好がゴツすぎるのと、髪に挿しづらい、というのがあるようだ。第二には、あまりマニアックなものは売れない、ということだ。例の携帯電話を模した銀の飾りの付いたものは、値段が安くても結局、売れ残った。第三に、男っぽいものは売れない。男性なら、銀と黒檀がぴったりと一体化した、何かの部品のようなものに心惹かれるのだが、女性の場合、機械の部品を想像するようなものには、全く興味が湧かないようだ。
というわけで、売れ残ったものを壊してしまうのも、口惜しいので、作り替えてみた。
作品名:あなたにアマレット (2007.5)
材料:黒檀、銀、ガーネット、ヘマタイト、ステンレスワイヤ
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■ 銀から鉄へ
この夏休みは「おいおい100」の「溶接による鉄家具を作る」を実現する一歩として、ガス溶接講習に行ってきた。よくある大学の市民向け夏期講座の一つなのだが、「ガス溶接」を持っているのは珍しいと思われる。女子美なので元々は彫刻コースの一講座だったらしい。5日間のコースだったが、実技、座学、試験と無事こなして修了証をもらった。本物の「ガス溶接技能者」証は後から送られてくる予定だ。
実技はアセチレンガスを使った溶接と溶段だったが、手元の火口で鉄が溶ける、というのは楽しい経験だった。鉄板の表面に溶けた溜まりを作って、これに溶棒を溶かし入れる。フラットバーの場合には肉盛りとなって、つき合わせた所に溶かし入れれば溶接となる。もちろん初心者だからきれいには出来なかったが、取りあえず二つの鉄板が溶接された。見るからに下手な溶接だったが、子供の頃から憧れていた鉄の加工だったので、嬉しさもひとしおだった。溶断の実技もあって、溶断トーチを使えば酸素の音も誇らしげに数ミリの鉄板があっという間に切断できる。ガスで吹き飛ばされた火花が足下にかかって、熱かったのは仕方がない。
最終日には、溶接センターからの講師の実技指導が早めに終わった後、講義の時間がまだ残されていたので、自分の材料を溶接させてもらった。一緒に講習を受けていた女子大生を含む講習生がさっさと帰ってしまって、たった一人になってしまったのが少し残念だったが、二枚の鉄板を九十度に溶接して、作品とも何とも言えないものを作り上げた。不細工だが、始めての鉄作品ができたので、後生大事に家に持ち帰った。
作品名:宇宙人現る (2007.8)
材料:軟鉄
(2007.8.30)
■ タガネを使う
銀というのは便利なもので、これまでこまごま作ってきたものの切れ端を溶かして、また使うことができる。ちょこ皿と呼ばれる素焼きの皿に切りくずを入れて、普通にバーナーで溶かしておいて、型に流すと板というか棒というか、かたまりができるので、これを叩いて延ばすことができる。延ばしているうちに銀が固くなるので、また赤くして柔らかくするのだが、手を抜くと端にひびが入ったりする。ひびが入ると失敗かというとそうでもなくて、ひびに金を入れておくと、地の銀が黒化していく時に意外に鮮やかに金が映えて、おもしろい時がある、ということに気付いた。と、いうわけで貯めておいた銀の切りくずを溶かして板にしてみた。
金の地金を買うような余裕は当然ないので、金のペーストを使う。サブミクロンの金の粒子がオイルに溶かされているので、これを銀の上に塗って、バーナーであぶると、地の銀と金が合金化するという寸法だ。ここでは、タガネで窪みを作って、そこに金を置く、ということをやってみた。タガネもまた、先端の形を整えるために、本当はグラインダーが欲しいんだが、場所もないので、砥石とダイヤモンド・やすりで作ってみた。
作品名:星間旅行を準備して (2007.11)
材料:銀、金
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■ 人物の表現
何をモチーフにするか、というのは全く自由だし、銀は、溶かす、延ばす、型を押す、切る、付ける、曲げる、削る等々、実に様々な技法が使えるので終わりということがない。死ねば終わりだが、死ぬまでは作り続けたい。ということで、今度は、たたき延ばした板にパターンを糸鋸で切り込んでみた。
作品名:わたしとあんた (2007.12)
材料:銀、金
作品名:二人は林檎の木の下 (2008.1)
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■ デッサンを始める
2008年11月からデッサン教室に通うことにした。あれこれ我流でもよいのだが、やはり、習うべきものは習わないと、先を見通すことができないと思われたからだ。始める前は辛気くさいんじゃないかと思っていたが、石膏デッサンを実際にやってみると中々楽しくて、集中できる。
というわけで、始めてから、2009年2月までのトレーニングの跡を記録しておきたいということで、このページにも掲載することにした。写真を撮ってみるとデッサンの拙い部分がよく解って、恥ずかしいのだが、どうせ、誰も見ていないからいいんだ。
作品名:あばたのビーナス 2 (2009.3)
少しはまともになったか、というところ。
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今通っているデッサン教室、生徒の数も少ないごくこじんまりとした教室なので、モチーフの種類も限られている。石膏像は一通り描いたので今は花瓶の花を描いている。造花なんだけどね。造花とはいえ、花は花弁の重なりや葉の具合が複雑なのでそれなりに描きごたえがある。描きごたえはあるのだが、物足りない。いや物足りないんじゃないんだな。別の物も描いてみたいのだ。
となれば、今度は人物、できればヌードを描きたいと思っていたところに、女子美の夏休み社会人コースの案内が来た。三時間ずつ三日間で女性ヌードモデルをデッサンするコースだ。渡りに船、ということで申し込んでおいた。
初日、暑い高円寺の住宅街を抜けて学校へ。集まった受講生を眺めると中高年と若いのと適当にミックスされていて、女性の方が人数的には多いか。最初に講師によるデッサンの進め方、次にモデルが登場してから、講師がデモンストレーションということで短時間でデッサンを描いてみせる。講師の話は、基本的には一般相手の講座だから、のびのび描けということだ。モデルは十五分ポーズ、五分休みというインターバルで二時間程、台の上に座り、まわりにイーゼルを並べた受講生がこれをデッサンするという寸法で、もちろんその中の一人がこっち。モデルが台の上にあがって、ぱらりとパレオを脱いでヌードになる瞬間は、こっちも男、ちょっとどきりとするが、モデルのポーズが決まりこっちも画用紙に向かった段階で、そういうのはなくなってしまった。いや本当。
時間が来て、やっとの思いで描きあげた。あとは講師が受講生全員の作品を並べて講評するという順で、これが三日間続いたわけだ。作品の出来は云々するレベルではないし、うまく描けなかったというネガティブな気分になっても仕方がないので、とりあえずやったということで自己満足することとした。いや、確かに集中した。座っているだけなのに妙に腹がすいて、帰りに駅の近くのモスバーガーでダブルバーガーを食べたり、今まで感じたことのない頭の疲れを覚えたりしたからだ。
モデルの話?いや、奇麗な人でしたよ。年の頃三十は過ぎてるかな。背が高くて、黒目がちの目とちょっと厚い肉感的な唇が印象的な女性でした。ヌードデッサンは続けたいと思いましたね。
(2009.8.21-23)
倉庫入り口へ
銀細工その他の話については暫く途切れてしまった。話は途切れたのだが、何にもしていなかったわけではない。デッサン教室は一年程通った後で辞めてしまった。やはりモチーフが少ない石膏と造花しかないので先がなかったのが大きい。ただ辞めてしまったがデッサンも止めてしまったわけではないので、別の教室も探しているところだ。その他にも、2010年の夏には女子美の夏休み社会人コースで二回目のヌードデッサンを体験した。
細工物についてはトルコ石がこのところのメインだ。たまたま米国アリゾナ産出のトルコ石で人工的な処理が施されていない、という触れ込みのホームページがあって、ここから小さめではあるが色の奇麗な石が手に入ったからだ。石がよく見えるようにテグスで吊るすような仕掛けも考えた。ただ銀細工については銀の地金の高騰が痛い。数年前の5倍くらいにはなっているんじゃなかろうか。重量感のあるペンダントなんてのは少し制作を躊躇してしまう。簪については、作っても売れるあてがないのでもうどうしようかと考えている。
デッサンは中断しているが、少しずつ絵の方に軸足を移しつつある。ひとつにはアクリルの画材が大量に手に入ったので、なんとかこの画材に慣れたいと考えたためだ。
(2011.2.16)
店入り口へ
■ ■ ■
銀細工にデッサン、あれこれ始めるととことんつきつめたくなって時間が足らない。家人からはやり過ぎの凝り過ぎと言われている。