毎日使っている箸の先端が一糎ほど折れてなくなってしまった。食べることに差障りはないが、微妙に舌触りが違って割箸に近くなってしまった。自分の箸を持ってあるくという趣味の人が結構な数で居ると聞くと有り得ない話ではないと思う。割箸では箸先がすぱりと断ち切られているので舌にその角が当たるのが気になるのだと思われる。また一昔前の安食堂や社員食堂では、使い回しの箸を使っている所もあるので、他人の噛じったような箸は厭だというのも自分用の箸を持ち歩く人の気持ちかも知れない。
ところで箸を買い替えようと思って、たまに見かける箸専門店に入ってはみるのだが、なかなか決められない。一つには、箸は場所を取らないので小さな店でもありとあらゆる箸が有って、この間の店ではあれこれと見ているうちに、その数に圧倒されて嫌になってしまった。
たがやさん(鉄木)の箸があって少し気に入ったのだったが、そのうち自分で作ればよいのだと考えついて、選ぶのは止めにしたのだった。手持ちの材料の中にかりん(花梨)があるのでこれで箸を作る。この前箸屋で見たアイデアを拝借して握りの部分を五角型にしよう。うまく出来たら人に差し上げるものも作ろうかと思ったが、人様の口に入るものだからと考え直して止めとした。
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葉巻を吸うようになって、葉巻の味と香りがウィスキーに実によく合うことを見つけた。されば、どんなウィスキーが葉巻に合うか、というところまで追及したい。ところがウィスキーをあれこれ試すとすると、これは品を揃えたバーをおいて他に良い場所がない。さらに、葉巻は香りが強い。マナーとしては、バーに行っても周りの雰囲気を確かめて、バーテンにそれとなく葉巻をやってよいかどうかを聞いた方が良かろう。
とすると、西に雰囲気のよいバーがあると聞けば駆け付け、東にウィスキーの取り揃えの素晴らしいバーがあると聞いては、その扉を叩かねばならない。この時、お気に入りの葉巻を持ち歩かねばいけないのだが、葉巻は乾燥を嫌うし柔らかな物であるから、どうしたって持ち運びのためのケースが必要だ。ところが葉巻ケースの市販品を探したのだが、値段の割に安っぽい革のケースぐらいしか見つからない。それならいっそ作ってしまおう、というのが始まりだった。
二三個、作っているうちに、漆、といっても、漆様の特殊な塗料なんだが、これで塗ったり青貝の蒔絵を施したりして、我ながら気に入ったものができるようになってきた。写真のモノはチタン板を切り抜いて文字を入れてある。バーのカウンタでこいつを見せびらかして、お世辞にも欲しい等と、客やバーテンに言われると、ついその気になって売り物を作り始めた、というのが、私の商売の始まりでもある。尤も、一個できあがるまでに三ヶ月はかかるから、到底、儲けはない。設計・製作・販売業というものもやってみたい、という趣味の話だ。
topバスケットボールの選手は偉く見えるのでないか、と思われる。背が高いというのは、こちらとしては必然的に見上げることとなるから、見上げた人という言葉もあるように、心理的な圧力を受けるためだ。会社の社長が概して長身である、というのもこのような心理に関連しているものと考えられる。勿論、背の高さと能力の間に関連はない。
ついでに言えば血液型と人の気性との間に関連があるとは考えられないのだが、この話に何時までも人気のあるのは不思議なところだ。で、社長の背の高さに戻れば、背の高い人は周囲から注目されるので、逆に本人の自覚が喚起されたことが、その地位を得るのに寄与した、と考えることもできる。だから女性の背が男性より高かったら、ポパイとオリーブの様なケースなんだが、セクハラは起きにくいだろう。これから考えると、車椅子の利用者はいつも他人を見上げなきゃいけない。私もそのうち車椅子のお世話にならなきゃいけないから、周りは見上げた人ばかりになって、卑屈な性格に磨きがかかるんじゃあるまいか、と思う。
要は、車椅子に座っていても目線が高くなればよいのだ。そうすると必要な場合に座面の持ち上がる車椅子を作ればよい。座面が持ち上がると重心が高くなって不安定になるが、これを避けるために前後左右の車輪の幅を拡げるのでは、全体が大きく成ってしまって取り回しが大変になるから、ここは一つ動力付き並行二輪車を取り入れた動的なバランスシステムとしなければならない。もちろん動力の切れた場合や緊急時に対処するための、普段は格納しておく補助輪も必要だ。全体的には両方の車輪から上部に伸縮可能なビームが伸びて、その先の関節に座席がぶら下がるような恰好になると思われる。できれば補助輪もうまく使って階段も昇り降りできるようにしたい。だが今の世、一番問題になりそうなのは、何かあった時に訴えられて賠償金を取られることなんだな。この対策には、弁護士を頼んでおかなきゃいけない。自由な設計に水をさされそうなんだが。
top溶接というのも、やっておきたいアイテムだ。これも子供時代のことだが、近所に鉄工所があった。鉄工所というより鍛冶屋といっていいくらいの規模なんだが、ふいごのついた炉があったり、マスクをつけた職人が溶接をしていたりしていた。溶接の光を見ると眼が悪くなる、と言われていたのだが、見ずに通り過ぎることもできないので、真っ直ぐに見ない、視野の片隅で見ればよいのだろうと子供心に考えて、その青白く光るトーチの先を見ていた覚えがある。
鉄の細工は、家に金床があったので、金鋸で切ったり、赤めてからハンマーで叩いたり、ということには子供の時からなじんでいた。家の五右衛門風呂の焚き口が、炉の代わりだったのだ。鉄の鏃だの、手裏剣等を作っていたのだから、今から考えれば危ない話だが、これがなければ私の今もなかったろう。だから鍛冶屋の仕事はお気に入りで、よく眺めていたのだ。その頃、鉄を曲げることはできたのだが、どうしても鍛接ということができなかった。今となって考えればホウ酸があれば良かったのだろうが、その知識はなく、風呂の焚き口では、温度も足りなかっただろう。ハンマーでは鉄を接合できなかったので、鍛冶屋の溶接は憧れでもあったのだ。
ということで、鉄の溶接を含む鉄工作をやってみたい。ただ、玄関先というわけにもいかないだろうから、どうしても土間のある場所、アトリエだな、これが欲しい。勿論、今となっては手裏剣は作らないつもりだ。燭台、装飾のついたフック、できればストーブなんてのも作ってみたいものだ。ところで、義理の父親の知り合いの職人が、ステンレス溶接のエキスパートなんだという。年も年だろうし、こんな文を書いてうだうだとしている内に、時間切れになりそうだ。
top普通の三味線でも三つに折れる、というのは、これを手に取るまで知らなかった。三つ折の三味線は、携帯用に特別にしつらえたものだと思っていたのだ。継目のほぞ穴に金張りしてあることも知らなかった。胴の中が杉綾(すぎあや)に彫られていることも知らなかった。こういう工夫のされているものを見ると、自分でも作りたくなる性分なのだが、流石に昔の日本人が工夫した細工物だけあって、おいそれと手を出せるような代物でないことは直ぐに判った。
それでは、ということで、コマを作ることにする。コマというのは、三味線の胴の下から五分の一辺りに置いて糸を支えるものだ。どんなコマがどのような音を出すのか、も知りたい。コマの役割を考えてみると、まず糸を皮に対して定位置に固定すること、それから糸の振動を皮に伝えること、ある糸の振動を別の糸に伝えること等がある。よく見られるコマは糸に当たる部分が横一直線の断面が三角の稜になっていて、皮に当たる部分が横長の長方形になっている。コマの役割を考えると、今のコマの形と造りがよく理に叶っていることが解る。
糸の振動を皮に効率よく伝えるためにコマの材質は軽く堅いことが必要だ。コマには牛骨がよく使われるのだが、見た目よく似ている象牙がなぜ稜の一部にしか使われないのかは、この軽く堅いという点から理解できる。象牙は丈夫で粘りがあるのでその分重くコマの材料としては牛骨より劣るのだ。コマの話からは外れるが、糸の振動がコマを経て皮に伝わる機構を考えると糸に対する撥のあて方にも示唆が得られる。三味線が鳴るためには皮が振動しなければならない。皮は面に垂直な方向にしか振動しないから、振動を伝えるコマの振動は縦波である必要があり、そうすると糸は皮に鉛直な方向に振動すべきで、そのためには撥も皮に垂直に振り下ろす必要がある。
コマの造りの話に戻すと、コマには糸が皮に対して横ずれしないようにする役目があると言ったが、撥が皮に対して垂直の方向に振り下ろされとすれば、糸を横ずれさせるような力は発生しない筈だ。この観点からすれば、普通に見られるコマの足の、皮に当たる部分の幅、糸に直角方向の幅、は大きすぎる様な気もする。一方、コマの本来の役割である、糸の振動を皮に伝える、を考えると話はもっと複雑になる。話が発散しないように皮の大きさと形は、今普通にある三味線程度とする。
まずコマの位置なんだが、皮からできるだけ大きな音を出すためには、コマが胴の下端ではいけない。皮は胴の端に固定されているから、端にあるコマでは皮を振動させることができないからだ。一方コマを胴の中央に置いてしまうと、振動すべき膜面の最大長さが最短になってしまって、膜面が振動するときの振幅が小さくなる、つまり音が小さくなるだろう。そうするとコマの位置は自ずと決まることになる。つまり一般的なコマの位置が最適になっているのだろうと思われる。
ここでまたコマの形の話に戻って、コマの皮に当たる足の部分の大きさについて考えてみる。足が大き過ぎると皮を貼ってある胴の影響が大きくなって皮に振動がうまく伝わらないだろう。逆に小さ過ぎると皮の柔軟性の効果が露わになって、皮の振動する膜面としての働きが十分には発揮されないであろう。この考えからは付随的に推定されることがある。薄くて堅い皮には、より小さい足のコマが使えて、その結果より音を大きく、またコマをより軽くできることから、糸の振動をより忠実に皮に伝えることができることが期待される。
足の皮に当たる部分が長方形になっている点も無視できない。仮に足が楕円形であるとすれば、水面に丸い小石の落ちた如く、よく波長の揃った振動が皮に伝わるだろう。しかしよく揃った波というのは、ある特定の高さの音が強調されることに他ならない。四角い角を持つコマの足こそが広い波長範囲、つまり種々の高さの音を皮に伝えることができる。それでは結局のところ、今あるコマで十分と結論づけられるのではないだろうか。ここでは二の糸の働きを考えた時、今の形式のコマは必ずしも最適と言えないのではないかとの疑問を提出したい。
前に述べたように、よく見られるコマは糸に当たる部分が横一直線の稜になっていて、これを一と三の糸の下にある台が支えている。しかし二の糸の下が空間になっているというのは、必ずしも最適ではないのではないか。三味線にとっては二の糸の響きが最も大事だと言われているからである。二の糸の振動を最短距離で皮に伝え、かつこれまでに述べた要件を満たし、かつ相当の力で張られた糸を支えるのに十分な機械的強度を持つ軽いコマとなると、確かに設計が難しい。ともかくも作り出す前にあれこれ買い集める必要があるか。
topヒュミドールというのは、一口で言えば葉巻を入れて置く箱だ。中身を愛でるという意味から外側には銘木を使ったり、寄せ木にしたり、象眼を入れたりと凝った作りになっている。内張りは西洋杉が使われることが多いようだが、要するに材料自体には匂いがなくて適度に柔らかく、かつ吸湿性のある木が使われるようだ。自作するなら桐材になるだろう。なぜ吸湿性が求められるのかと言えば、そもそもヒュミドールの第一の役目が葉巻を乾燥から守ることなのだ。
高価な葉巻は一定の湿度、70%と言われているが、に保たなければ、葉巻の命の香が失われてしまうと言われている。スポンジに水を含ませて箱の中に入れて置くぐらいで何とかなるかと言えば、何とかならない。温度が一定ならばよいのだが、ヒュミドールの温度が下がった時、中の湿気が高くなったり甚だしい場合には、結露したりするからだ。
中が乾燥してきたら湿気を与え、湿気が高くなった場合にこれを下げるような仕組みが必要だ。普通にはある濃度のグリセリンの水溶液を適当な入れ物に入れる、あるいはスポンジなんぞに染み込ませてヒュミドールの中に入れておく。湿度計も中に付けておいて、日々、葉巻は大丈夫かと心配するのが醍醐味だ。だが話はこれでは終らなくて、葉巻の温度管理だって重要だ。ワインの温度管理に気を使うなら、葉巻だって使ってほしいという訳だ。
となると箱に冷却装置が必要だ。音の出るのは五月蝿いから、ここはペルチェ方式にしなきゃいけない。そうすると箱の外側に放熱器が必要だ。しかし金属部品や電子部品が見えるようでは、美しさがモットーのヒュミドールに相応しくない。それでは箱の底を二重にして電器品はそこに隠そうかとか、コントローラにはマイクロプロセッサを使おうかとか、電源ケーブルが出ているのはみっともないのではないかとか、悩みは尽きない。
ところで、ヒュミドール全体をエアコンのある部屋に置けばいいんじゃないかという意見があって、その通りですと答えるしかない。いやちょっとね、工夫するのを楽しんだだけです。
top「おまいさん、ちっと了見がたがってるんじゃないかい」と、これが江戸言葉かどうかは判らないが、なに、どうせ誰が江戸っ子かだなんてのは、とおに明後日(あさって)に行っちまったから構やしない。江戸風に若いもん前にして小言の一つ二つは並べてみたいということだ。
もっとも近頃は、神妙に聞いている振りばっかりで「すいません、急いでいるので、もうすぐ終るでしょうか」なんて奴が多いので説教する方も油断がならない。聞いているかと思ったら後から「その話は三回めです」と切り出すのも居て可愛げがない。
”美味しんぼ”という漫画があって暫く前に評判になったが、この漫画の面白いというか感心するところは、登場人物が実に素直なことだ。主人公と料理の話で角突き合わせる尊大な相手が、主人公の正しいことを知ると直ちに「いや、私が間違っていた」と認める。数十巻の単行本の中で、自分の間違いを認めずにあくまでも反撃してくるのは、たった一人しか登場しない。なぜそんなに詳しいかと言えば、毎日の銭湯通い、風呂をあがってぼんやりして居る時に読むのにピッタリで、おまけにこの銭湯、全巻揃っているものだから順番に読んでいったのだ。
で、説教の話なんだが、できれば長火鉢の前に座って、相手にも「まあ、お坐んなさい」ぐらいから始めたい。そうすると、どうしてもこの長火鉢が必要だ。以前、近くの骨董屋で唐木(からき)のいいのを見つけておいたのだが、買いそびれてしまった。こうなれば自分で作ってしまいたい。大きいのは置く場所もないので、少し小振りにして、それでも引き出しぐらいはつけておきたい。
もっとも以前に文机を作って自分専用にしようと思っていたら、あっという間に家人に占領されてしまったので、そのような事態は避けるべく、何気なく「じつはね、ちょっと話がある」なんて最初に言い聞かせる必要がある。「忙しいんだから、早くしてよ」と言われる可能性が大であるが。
top半田鏝(はんだごて)を取らなくなって久しい。思い出してみると最後まで弄って(いぢって)いたのがZ8マイクロプロセサボードで、これに並列に繋ぐEP-ROMライタボードを部品レベルから作って、それにROMライタソフトを焼いたROMを載せたのだった。調べたらこのボードの話が出ていたのがその頃購読していたBYTE のSmalltalk issue, vol.6, No.8, August 1981 で実に20年前か。
要するに十糎四方の基板に色々な電子部品をくっつけてから何十本もの配線を半田付けするような目の痛くなるような事は全くしなくなった、ということだ。思い返すと此の頃から上司との折り合いがますます悪くなって、その数年後、違う部署に異動させられたのだった。それまでのキャリアパスと全く無関係な部署でチームで仕事が基本の職場だったから、当初ぼんやりと考えていたパスからは脱落してしまったと言えた。
だが、物は考え様。職種が変わったお蔭でそれまでとは全く毛色の違う人間に会えたし、思わぬ仕事も転がりこんで来たから、不本意な異動も結果としては良かったと言えなくもないような気がしないでもない。そんな訳で毎日の行動パターンががらりと変わってしまって、半田鏝を握って、一人でこつこつとコンピュータ絡みの電子回路を作るなんて趣味からは遠ざかっていたのだがWebであんなのを作った、トラ技にこんなのができます、という記事を読むと自分でも作りたくなって来る。
そういう中で、ずっとその構想を暖めているのが、多種多様なセンサを一つに纏めた自走式の分析機械だ。例えば、温度、湿度、風速、照度、色彩、赤外線、紫外線、音量、音質、酸素濃度、ガス濃度、電波の強度、放射線、なんぞを測定して表示する機械だ。こんなに多様なことが今では、秋葉原に売っている部品を組合せるだけで実現可能だ。
実現可能とは言っても仕上がりには幅があって、理想的にはある程度の問題検出能力が欲しい。例えば温度の異常を感じたら、風速と音量の変化を解析してエアコンディショナの不調の可能性について警報を出す、という具合にだ。究極的には女房の顔色を窺って「危険、危険、半径二メートル以内から直ちに退去することを勧告します」位の事は言えるようにしたいものだ。
top昆虫採集は昔の子供の一般的な趣味だったし、夏休みの宿題の定番であったから、私も少しは手を染めたことがある。手を染めたと言うのは、捕まえる方は人並にやっていたのだが、これを標本にするところで嫌気がさして、それっきり昆虫採集はよしにしたのだ。
その夏、私も夏休み向けの昆虫標本セットを買ってもらっていたので、夏休みも待たずに使ってみたのだった。早速、揚羽蝶を捕まえて、さてここからが問題なのだが、標本にするには蝶か暴れて羽が傷まないように、網の中で蝶の胸を強く押えて殺すのだと「昆虫採集の方法」には書かれている。だが、蝶の腹がぷよぷよと柔らかいのに、その胸は硬くはないがしっかりしている。押す力の加減もわからない、蝶の方はバタバタと暴れる、力を入れ過ぎて蝶の胸を潰してしまうのも恐ろしい。
進退極まって昆虫採集セットの殺虫薬を使うことにした。セットには、いやに毒々しい色の殺虫薬と保存薬、それに注射器が入っていた。注射筒に針をセットし薬液を瓶から吸い上げて右手に構えると、気分は殺し屋となった。少し躊躇はしたもののとうとう、蝶には太過ぎる針を左手の指でつかまえた蝶の胸と腹の間に突き刺した。薬液を注入したらすぐに死ぬと思われた蝶が、なかなか死なず、長い腹を丸めて益々暴れる。多過ぎるのではと思われる程の薬液を注入してやっと蝶は動かなくなった。「昆虫採集の方法」に従って、空き箱を用意してコルクの台を接着し、固くなった蝶の羽を広げて、背中から虫ピンを突き通してコルクに止めた。蝶の羽の縁のきれいな曲線がぼろぼろになってしまっていた。羽の模様もあちこち剥げ落ちていた。じっと見ていると蝶は僅かに動いて羽が静かに下に垂れた。
話は元に戻って、家でごろごろしていると、たまに小さい蝿が飛んでいることがある。大きさは一粍程度で、あまり小さいので老眼気味の眼にははっきりと見えない位だ。飛んでいるのだから、明らかに成虫だ。人の話によると、小蝿、と呼ぶカテゴリがあってこれを専門に研究している人もいるらしい。この小蝿を含めて一粍以下の昆虫でしかも成虫を採集して標本にしようと考えている。普通の昆虫採集と違うところは、何百匹と集めようが、うんと小さい標本箱に入ってしまうところだ。採集は吸収管でするとして、どんな具合に固定するとか色々と工夫のしがいがありそうだ。
top延安の穴居人と言えば毛沢東のことだが、その頃毛沢東がどのような政治活動をしたかより、岩をくり抜いた住いに興味をもった。写真では、間口の割合に広いドーム状の岩穴に中国風の窓や戸口が付けられていて、ゆったりとした住み安そうなところである。記述によれば、寒暖の厳しい延安でも住居としての岩穴は割合に住み良かったとある。もっとも、八路軍の人間にとっては雨露が防げてベッドがあれば最高の住いだったろうから、今の基準で住み良かった筈もない。
さて子供時分の冬に一番好きな遊びは雪で洞穴つまり雪洞を作ることだったから、当然のように今も雪洞は好みのキーワードの一つである。ただしここではトンネルのような雪の洞窟ではなく、入り口はやっと潜り抜けられる程に狭く、中がゆったりと広い雪の洞窟を思い浮かべて頂きたい。さてこの雪洞についてなんだが、今はイグルーと言った方が通りがよいかも知れない。
詳しく説明すれば雪洞とイグルーは違うものと言える。イグルーは平らな雪面から雪のブロックを切り出して拵える雪のドームで、エスキモーの狩猟のためのキャンプとして有名だ。これに対して、字義から云っても雪洞は雪の斜面あるいは崖に掘った洞穴をいうのだ。
しかし実際のところ、複数の人間が入り込める程の雪洞を掘るにはかなりの大きさの雪の吹き溜りが必要なのでイグルーの形式と組み合わせる事が多い。このような雪洞もしくはイグルーは、大体一晩過ごせる程度の必要性しかないので、雑な作りで済ませるのが普通だ。
しかし立派なイグルー、満足のいく出来のイグルーと云うのは、なかなか作る機会がなかった。心残りだ。実際にきちんとしたものを作ろうとすると、色々な条件が揃っている必要がある。まず平らな雪原の足元に、適当に締まった雪が最低深さ30cm位あること。しかも単に雪が積もっているだけでは最適とは言えない。雪というのは色々な降りかたをして、積もったあとにも色々と変化する。イグルー作りの材料に理想的な雪の状態というのもある。
まずよく締まった、つまり人間が上にのっても沈み込まない位に堅くて平らな土台となる雪面が必要だ。これに新雪が薄く積もった後、少し温かい日中とよく冷え込む夜があって、表面の雪が細かな氷の粒、ザラメと呼ぶのだが、になるとよい。それから60cm程も新雪が積もってその後寒い日が続いて、上を歩くと深い足跡が付く位に雪が締まるとよい。このような状態にある雪原が最適だ。
ここからイグルー作りが始まる。まず雪面に、縦30cm横50cm程のブロック状に鋸を垂直に入れて切る。そうすると深さ30cmあたりのザラメのような境界面から上の雪がすっぽりと取り出すことができて、いわば雪のレンガが取れることになる。形の崩れていないしっかりした雪のレンガを必要なだけ揃えることができれば、後は丁寧にこれを積みあげていけばよいだけだ。
ドーム状に積み上げたら最後に円天井を塞ぐブロックをはめ込む。外側と内側は鋸で平らに仕上げる。特に内側は出っ張った部分があるとそこが最初に融けてしまうので、滑らかにする必要がある。こうして出来上がったドームの夜は、灯が回り中の雪を照らし、その反射光がドームを満たす。外の突き刺す寒気も、雪面を削り飛ばす烈風もイグルーの中には入って来ない。尖った話声さえドームの雪に吸い込まれて、穏やかになってしまう。こんな風にイグルーを作りたい、と云うのは当然に胎内回帰願望の現れで、否定しない。
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