師匠について端唄に精進している。なぜ端唄を始めたかと言えば、三味線が呼んでいた、と答えるしかない。その前に端唄とは何か、という話が必要だと思われる。このページは端唄についても知って欲しいという気持ちの表れだ。
■ 梅にも春
最初に教わった端唄が「梅にも春」で、最初のことだから、碌に声も出ず三味線も弾けずで、一年程、この唄ばかり教わっていた。
梅にも春の色添えて/若水汲みか車井戸/音もせわしき鳥追いや/
朝日に繁き人影を/もしやと思う恋の慾 /遠音(とおね)神楽や数取りの/待つ辻占や鼠鳴き/
逢うて嬉しき酒(ささ)機嫌/濃茶が出来たらあがりゃんせ
というのがこの端唄の歌詞だ。聞いた事もない言葉が入っているので説明が必要と思う。「若水」、「車井戸」あたりは辞書にあるから問題ない。「鳥追い」というのは予想がつくように元々は農耕儀礼で、正月に「今年も鳥害がないように」と鳴りものを鳴らしたり唄ったりするものが、都市部の正月の門付として遊芸化したものだ。大体、一人もしくは二人の女が鳥追い笠をかぶって、三味線を持った姿で描かれたものが残っている。
「数取り」というのは、今も「アイシテル」、「アイシテナイ」と花びらを毟っていく占いに残っているように、何かを数えて占うことだ。昔は畳の目を数えたのだという。「辻占」というのは道の角々の辻で占い札を売っている様子だ。「鼠鳴き」というのは忍ぶ中の男女の間で、鼠の声をまねた合図をすることだ。と、縷々書いたが、上の唄は要するにそういう唄だ。
朝日に繁き人影を/もしやと思う恋の慾、というところがにくいところだという意見もある。
あたまへ■ 端唄と小唄
小唄、というのも聞いたことがあるかも知れない。日本の唄というのは中々、細かく分かれていて、それぞれに特徴がある。小唄というのは基本的に四畳半に炬燵を挟んで差し向かいに座り、片方が酒を飲めば、片方が三味線を手に取って、爪弾きする。その時の唄だ。爪弾き、というのは、撥(ばち)を使わずに人差し指の爪の横の肉で糸を鳴らすことだ。
で、端唄、というのは撥引きの三味線にあわせて唄う唄を言う。多くの場合はこれに踊り手がついて、どちらかと言えば客を楽しませるためのものだ。鼓や太鼓の鳴りものが入ると華やかになる。この様子を客が見て、自分もやってみたいと、師匠について稽古するのが端唄だ。師匠につかなくともうろ覚えで適当に唄ってももちろん構わない。
ついでに言えば長唄、というのは歌舞伎のためのオーケストラと考えればよいと思われる。簡単に言えば長いから長唄だ。
あたまへ■ 三味線の種類
明治維新以来、役人から排除され続けてきた民族楽器だ。去年あたりからやっと公教育に取り入れられることになった。日本に入ってきたのが十三世紀頃だと言われているので、そう古い楽器ではないのだが、江戸時代や日本を理解する上で欠かせない楽器と言える、と主張したい。
三味線は棹の太さで分類することもできる。例えば津軽三味線は太棹とよばれ、皮を張ってある胴も大きいので太い音を出す事ができる。これに対して細棹というのがあって棹が細い。手の大きさにもよるだろうが親指と人差し指で輪をつくって楽に通す事のできる程度の細さだ。棹が細いので三味線全体も軽くなっている。長唄にはこの細棹が使われる。太棹と細棹の中間が中棹で、端唄に使われる。少し特殊になるが、今習っている端唄の師匠は棹が普通より少し短い短棹を使っていて、より高い調子の音が出せるようになっている。
楽器としての三味線で気に入っているところは、分解して持ち運びに便利なようになっているところだ。棹を胴から外して三つに分割することができる。少し大型の手提げ鞄に入る程度になるので持ち運びに邪魔にならない。胴の継ぎ目のほぞ穴が金で内張されていて、継ぎ目がぴったりと見えなくなる程に精密に作ってあるのも気に入っている点だ。なぜ、わざわざ金張りしてあるのか、というのはよく理由がわからないのだが。
あたまへ■ 三味線とは
一口で言えば、三味線とは奥深いものだと言える。指折り数えたら、三味線を手に取った始めからもうすぐ八年にもなるので驚いた。今の師匠についてからでも丸四年になる。やっと音が出ているかなと感じたのが去年の暮れあたりで、いくら覚えが悪いとは言え、八年も経ってからやっとそれなりの音が出るようになった(出ない場合も多いのでまだまだなのだが)のだから、難しい楽器なのだと言ってよいだろう。
左の写真は棹の一部分で、初心者がどこを押さえたらよいかを示すシールが貼ってある。
自分の楽器から出る音を聞きながら弾き方を調節する、というのは電子楽器を除いて、どんな楽器でも必要なことだと思われるが、三味線はギターのようなフレットが付いていないので、まず音の高低を自分で調節しなければならない。その他にも音の大小、長短、音色、も自分の責任範囲なので、これでよい、という所がなくて限りなく奥が深い。
三味線の弦は絹糸なので、買ってきたばかりの糸は手で延ばしてから張らなければならない、三味線を手にとる度に音程を調節しなければならない、二三日も経つと爪で押さえていた部分が段々とほつれてくる、一月も経たない内に切れてしまう、というように手間がかかる。また、胴に張った皮は湿気の変化に弱くて、うっかりしていると、皮が破けたり胴からはがれてしまったりする、というように、如何にも華奢にできている。頑丈に使いやすくできない筈はないのだが、その不便さを補ってあまりある繊細さを、江戸の人は追い求めたのだと思われる。そこが好きだ。
あたまへ■ かっぽれ
今(2004/2)習っているのが「かっぽれ」で、江戸の幇間芸として名高い「かっぽれ踊り」の唄と三味線の部分だ。どういうものかと言うと、
かっぽれかっぽれ/ヨーイトナ/ヨイヨイ /沖の暗いのに/白帆がサー見ゆる/ヨイトコラサ /あれは紀伊の国/ヤレコノ/コレワイノサ/ヨイトサッサッサ /蜜柑船じゃえ/サテ/蜜柑船/蜜柑船じゃサー見ゆる/ヨイトコラサ /あれは紀伊の国/ヤレコノ/コレワイノサ/ヨイトサッサッサ /蜜柑船じゃえ
サテ/豊作じゃ/満作じゃ/明日は旦那の稲刈りで /小束に絡げて/ちょいと投げた/投げた/セッセ/枕に/投げた枕に /とがは無い/オセセノコレワイサ/尾花に穂が咲いた/この妙かいな
ねんねこせーねんねこせ/ねんねのお守りは何処へ行った /あの山越えて里へ行った/里のお土産(おみや)になにもろた /でんでん太鼓に笙の苗/
寝ろてばよー/寝ろてばよー/寝ろてば寝ないのか/この子はよー
という唄で、最初は紀伊の辺りの唄が江戸に持ち込まれたものが、三味線の手が似ているというだけの理由で、別の唄が次々にその後ろにくっつけられた結果できた端唄だ。楽しければいいじゃないか、という雰囲気があって、これはこれで好きな端唄だちなみに「かっぽれ」というのはイタリア語だという説がある。
あたまへ■ 深川節
深川といえば、今の江東区、門前仲町、清澄公園、森下あたりと思われる。冬でも素足の辰巳芸者のいたところだ。唄の歌詞は、
猪牙でいくのは/深川通い/上る桟橋の/あれわいさのさ/いそいそと /客の心は/上の空/飛んでいきたい/あれわいさのさ/主のそば
というものだ。猪牙はちょきと読んで、足の速い小舟を言う。深川は水路が発達しているので遊客は船で通うことになっている。猪牙の名の由来は、船の舳先の上に僅かに反っている具合が、猪の牙に似ている、ところからだと言われている
深川の唄だから、ところどころ木遣り風に唄うようになっていて、三味線の手も違う。どこが違うのかは研究中なのでその内、明らかにしたい。
ところで歌詞の二番は、
かごでいくのは/吉原通い/おりる衣紋坂/あれわいさのさ/いそいそと /おおもんぐちをば/ながむれば/ふかいなじみが/あれわいさのさ/おたのしみ
となっていて、女遊びにはまってしまった男の様子がよくみえる。君に思い当たるところはないだろうか。
あたまへ■ さのさ
これも歴史のある曲で、元々は長崎に出島のあった時代に中国から伝わった、九連環(くれんかん)という曲が、ホーカイ節として流行してたものだと言う。曲の最後に「さのさ」という文句が附くので、さのさ、と呼ばれているのだ。
私が持っている美空ひばりのCDのさのさ、の一番は、
いちねんは(五)/さんびゃくろくじゅう(七)/ごにちある(五)/からすのなかない(七)/ひはあれど(五)/ぬしさんおもはぬ(七)/ひとてなし(五)/あなたもおもうか(七)/わたしほど(五)/さのさ
となっている。五と七でできているので、俳句や和歌のように作られてきた結果、多くのさのさ、がある。唄い手が即興で作る、というのも昔は普通だったらしい。人口に膾炙しているだけに、逆にご当地さのさがあって、他所ものには唄い辛いところがある。例えば江戸から東京へと唄い継がれてきたさのさは下町なまりが乗っかっていて、普通に唄うと「何か違う、粋じゃない」と言われるわけだ。私もそう言われている。
粋じゃないのは仕様がない、としても、聞く人の印象をよいものとするために、できるだけ気を使って弾いたり、唄ったりするのが重要なんだ、というのが師匠の弁で、ハハ〜、と聞くしかないのだが、この、さのさ、も、サッノサッ、ではなくて、さのさ〜、と最後の、さ〜、を紙を棚の上にふわりと置く感じで唄え、と云われた。ハハ〜、と答えたのだが。(2004.6.10)
あたまへ■ NHKの舞台へ
先日(五月十五日の日曜日)初めてNHKホールの舞台を踏んだ。実際にはヤマ(いわば大きなひな壇で、今回の場合、一番下の段に鳴りもの、二段目が唄い手、三段目に三味線連中が座った)に乗ってヤマごと舞台に出たので、踏んで、はいないのだが。唄い手十人、三味線十人の、十挺十枚、割合に大掛かりな舞台と言える。新参者の私は、このヤマの一番上の段の十挺の一番左端、に座った。
この日のNHKホールは日本民謡フェスティバルなる催しが開催されていて、中身は全国各地の民謡の競技会を勝ち抜いてきた唄い手が、集まってグランプリを競う、という催しだ。私が出たのは、この催しにゲストとして招待された家元が、家元の作った曲を合奏する、という番組最後のプログラムだった。各地からの出場者からグランプリを選ぶために、審査員団が、別室で協議する間のアトラクションということだ。
前日に同じ舞台でマイクを使ったリハーサル、午後の本番前に午前中にカメラリハーサルがあったので、本番そのものは格段の緊張はなかったのだが、本番の合奏がこれほど難しいものとは思っていなかった。三味線でいえば立て三味線、弾き手のリーダーだな、これの合図で撥のタイミングを合わせる。ところが、指揮者であるタテは、十挺の三味線の真ん中にいて、一番端の私からは、いかに横目を遣ってもその撥は到底見えず、かけ声も時々しか聞こえない。ところが、本番が始まった途端、二小節目あたりから、演奏速度が早くなっているのに気付いた。で、隣の三味線がどんどん早くなる。タテがこんなに早く弾く筈もないから、明らかに本番に緊張した弾き手が何人か、タテを無視して暴走し始めているのだ。いったいどうしたらよかろうか、と頭の中が白くなってきてしまった。隣に合わせるとますます早くなるだろう。タテの音は聞こえないが、明らかに、リハーサルより早くなっているから、遅く弾くべきだろうか。そうすると、隣と違う音になってしまう。困った。実に困った。三味線を弾きながら多いに困ってしまって、中をとって、隣より僅かに遅く弾くことにした。しばらくすると、実際には数秒してからだろうが、隣の弾く早さが落ち着いてきて、全体の速度もリハーサルより早いが、一定になってきた。
というとことで、一難去ってまた一難。最後にジャンと音を揃えて弾かねばならない。タテの声は聞こえるだろうか。鳴りもの方のかけ声は、タテの声に先立ってかけられるのだが、そこで、思わず自分だけ先に弾いてしまわないだろうか、と緊張が高まる。あと終わりまで後数秒足らず、考えながらも手をきっちりと動かさねば、タテの声に耳を澄まさねば、ねば、ねば〜っと、タテが「ハッ」、ジャン。取りあえずうまく終わってよかった。客席の様子はヤマが舞台の袖に引き込まれる時に上目遣いで見たら、満席だった。(2005.5.20)
あたまへ相対(あいたい)というのは、一対一で何かを習う、という場合によく使われる言葉で、私も師匠からは相対で教わっている。もうすぐ大きな舞台があるので、師匠のテンションも上がって、弟子に対する態度が日増しに厳しくなってきている。「そんな風に弾けとは教えてないだろ!」、「(音がずれるから)皆の足を引っ張っているんだよ!」、「そんなんじゃ唄い手が唄えないだろ!」、「タテの音を聞いていないからいいかげんになるんだ!」、「姿勢が悪いよ!」、「手首が曲がっているのはおかしいよ、普通は真っ直ぐだろ!」、「体を動かしちゃだめ!」、「足がしびれると思うから気が散漫になるんだ!しびれてもそんなものと思え!」。弾いている最中でも、「そこ、音が違う!」、「一回で覚えなくちゃだめだ!」、「ねらって弾いて!」。最後には「覚えが悪いよ!」と。一々もっともなので、「はい」と答えるしかなく、さすがに稽古が終われば、ビールを息つぎもせず一気に飲むくらいでないと緊張がとれない。
古株の弟子に聞くと、師匠の若い頃には叱責と同時に物が飛んできた、というから、今はまだましなのだと言う。日本古来のやり方は、若いもんが親方に叱られ、張り飛ばされて技術を覚えていく、という方式になっていたのだが、今はすっかり陰を潜めて、旧い芸能・技術の伝承の場面にしか残っていないようだ。私はとっくに親方になっていなくてはならない程の年なので、若いもんと同じに叱られれば、普通なら、プライドが邪魔して稽古が続かなくなるのだろうが、こういう時は鈍な質でよかった。他人の言葉が気にならないせいもあってか、叱責にめげる、ということはなくて、逆に同席している門人が、「愛のムチなんだよ」、「厳しい時ほど上手くなるんだよ」、なんて慰めてくれるのを、いい気になって聞いている程だ。
トレーニングという観点から考えると、確かに、相手の人格を貶める程にきつく言わなければ、教わる方の緊張感が高まらず、緊張感がなければまた、向上することもない、というのは身を以て経験しているところなのだが、今の子供達は、こういう状況を経験したりすることがないだろうから、逆に言えば自らを緊張感の中に置いて、何かを向上するという機会もなく、可哀想と言える。こういうと昔なら、封建的だ、なんて抗議の声が上がったのだろうが、叱責されることによって脳内に分泌される物質が、何かを記憶したり、従来の行動様式を根本的に変えるのに、役立っているんじゃないかと、想像している。(2005.7.12)
あたまへ■ いつも初手から
八月の十日に国立の舞台があって、この間写真が上がってきた。赤坂育子さんの立ち方の後ろに唄い手、その後ろに並んでいるのが、私を含めた六人の三味線方なのだが、ライトは踊り手にあたっているので、殆ど真っ暗、かろうじて顔が区別できるかどうか、という写真だった。出し物は端唄道成寺だ。記念に一枚購入した。
さて、五年に一度の大舞台が無事終わって、稽古も少しはのんびりとするかと思いきや、家元は相変わらず厳しくて、撥を持つ手の形と位置、振り下ろし方に叱声が飛び、一々チェックされることとなった。要するにどうしたら良い音を出せるか、ということだ。
家元の言うのには、良い音を出せる人は最初から最後まで、何も教えなくとも良い音色をだせるのだと。つまり、無意識のうちに良い音色を聞き分けるので、自然に良い音を出すことができるのだと、言う。で、残りの大多数のそうでない人はどうすればよいのか、といえば、常に意識を集中して家元と自分の音を比べ、違う出してしまった時の、誤りを修正し続ける必要があるのだという。いつもネジを締めるということだな。
例えば、撥を持つ手の小指は自然に伸ばして、小指の先が三味線の胴にあたらない程度の距離に手を置くのだが、撥を安定させるために、この小指がだんだんに開いてしまう。そこが問題なのだ、と師匠はいうわけだ。家元が小指を開いた場合と本来の指の位置で撥を持った場合の音色の違いを、出してみせてくれて、だから、小指の位置が大事なんだと。確かに家元が弾くと、その違いが解る。問題は自分で聞き分けられるか、ということで、大多数の良い音色を聞き分けることのできない人々の一人である、自分は、指の形に神経を行き届かさねばならない。小指の位置ばかりではなく、腕の三味線の胴への置き方だとか、手首の振り方だとか、撥の皮との角度だとか、結局、全くの初心者が教わる通りのことを繰り返していることが解る。
稽古というのは、螺旋状になっている上達の道を何度も同じ経度位置に戻っては、繰り返すことなんだろうと思われる。いや無意識のうちに良い音色を聞き分けること等、到底できない人間にとって、上達の道は実に果てしない。
あたまへ■ うめ吉ライブ
うめ吉のファンだってことは、いや私のことなんですが、前にカミングアウトしました。それで済まないんだろうって。えー実はそうなんです。実はまだお話していなかったことがあるんです。いえ、大したことはないんです。そうですか、話して楽になっちまいなって、おっしゃいますか。じゃ、あなただけなんですが、お話しちゃいましょう。実はうめ吉のライブに行ったんです。おまえ、ライブなんて言葉知ってるんか、ですって。いや、私だってそのくらいは聞いたことありますよ。この前なんですが、青山でそれがありましてね、行って来ました。こっちと言えば、青山という場所じたい、なじみがなくて、ライブの場所なんてのも初めての経験だったんで、ちょっとブルっちゃうってんでもなかったんですが、年甲斐もなく浮き浮きしちゃいました。
どうだったって聞くんですか。そりゃファンとしては何でも許しちゃうんですよ。うめ吉が両手に紙の鼓をもって振り袖をふって踊る姿というのも、ファンじゃなければ見てられませんよ。恥ずかしくって。でもね会場の客が、私より爺いもいるくらいなんですが、さすがにキャーキャーは叫びませんが、皆ファンだってことでなんか年甲斐もなく熱くなりました。うめ吉の歌に合わせて太腿あらわに腰元シスターズなんてのが目の前で踊ったせいもあるんですが。いや、こんな風に話すのも恥ずかしいんですよ。
まだ、話してないことがあるだろうって。いやこれが全部です。そんなきつい顔しないで下さいよ。わかりました。実は続きがあるんです。話ちゃって良いんですか。わかりましたよ。残らず話しちゃいます。実は青山の後、原宿でもライブがあったんです。それにも行っちゃいました。やっぱり舞台の近く今度はそでの方でしたが、開場の一寸前から並んでいたもんですから、前の方にすわれました。何かおかしなことしなかっただろうな、ですって。ええ、大人しくしてました。まライブですから酒が出まして、わたしゃビールを一杯いただきました。あのー、酒があるともっと話し易いんですが。いい加減にしろって。はあ、わかりました。実はもう飲んじゃってるんです。なんかこの部屋暑くありませんか。そうでもないって。そうですかね。
ついでにもう、しゃべっちゃいますが、まだあるんですよ、これが。うめ吉ね、三月にアメリカで公演するんですよ。アメリカですよ。ま、いくらファンだって言ったってアメリカくんだりまでくっついて行く、なんてことはできませんので。金の都合もありますしね。わかるでしょ。でもね、うめ吉の事務所が画策しまして、アメリカ公演報告会をやるっていうじゃありませんか。いやね、この前案内が来たんですよ。しかもね浅草の貞千代の座敷で酒肴つきでやるってんですよ。これが、ね。え、落ち着けだって。これが落ち着いていられますかってんだよ。すいません、舞い上がっちゃいました。でね、早速申し込みましたよ。返事がないんでちょっと心配してたんですが、この前切符が送られてきましたよ。それがね、切符の番号なんですが、一番。いや、恥ずかしいんですが、お話しちゃいました。(2005.7.12)
あたまへ■ ■ ■
精進というのは目的が遠大過ぎて、到底、到達不可能なのでその過程を楽しむことを言うのだと物の本にあった