バイクで走り回るようになって、行きつけのバルができた。以前に何度か入ったことはあったのだが、ほぼ隔日で早朝に行くようになって、何時の間にか馴染みとなった。早朝、ごみの収集車やら酒の配達車やらが通りに目立つころ、まだ取り締まりの二人組も現れまいと、店の前に路上駐車して、バンコ(立ち飲み)でコーヒーを飲んでいる。以前、会社勤めの頃はコーヒーは好みの飲み物ではなかったのだが、酒を飲む機会が減るにつれ身体の方が変化したらしく、コーヒー好きとなった。コーヒー好きといっても、いわゆる難しい顔をしたマスターが丁寧にドリップで淹れる、というのではなく、エスプレッソ・マシンでさっさとカップで出されるコーヒーの方だ。
とりわけ寒い時期にバイクで冷えた指先を暖めるのには、一杯のカプチーノが欠かせなくなった。カプチーノを飲みつつ、たわいもない会話を交わして、さらりとまたドアをくぐってバイクに跨がる、というのは、早い朝の御陰で充分に長い一日の始まりとしては、なかなかハマりがよい。
この店、スタンプ・カードがあって毎回、勘定をトレイに金と一緒に出してはスタンプを押してもらうのだが、通う回数が多いこともあって、割合に早く貯まっていく。この前は、バリスタが作る創作スイート、というカードを貰って、そのカードを使って、だしてもらったのがチョコレート・パフェだ。その他にも自分で絵を書くカプチーノであるとか、まかない飯を出してくれるであるとか、スタンプの数によってあれこれと工夫された特典が繰り出される仕組みになっている。
もちろん、この店が気に入っているのは、バリスタと朝の挨拶をしたり、天気の話をしたり、昨日はどこそこに行ってきただの、のたわいもない話のできるところだ。シフトで変わるバリスタとも全員、顔馴染みになるというのは、楽しいものだ。今日も寒いね、がいつの間にか、いやー、朝から蒸し暑いな、こっちは雨降った?途中で降られちゃったよ。明日も猛暑だってさ、なんて話が交わされるようになった。こんな暑い日には、シェカラートが良い。エスプレッソとミルクと氷をシェーカーで振って、スプマンテのグラスに注いだ飲み物だ。いや、シェカラートってさ、飲むとハアーってなるよね。そうですよね、私もこの前自分で作って、ハアーってなりました。
(2011/7/21)
ネットの記事で読んだ程ではなかったと思ったが、自分の味覚はあてにならないので、これを読んで信用することのないように。こういう記事を書くところをみると、自分、意外にハンバーガーが好きらしい。サンドイッチも好きなのだが、つまるところ、食べるのが面倒くさくなってきた、というのがあるのかも知れない。余計なお世話であるが、ドブ板という単語はこの場合、なくした方が良いのではないか。
横須賀ドブ板ハンバーガー 480円である。
(2011/9/7)
能登は珠洲への一泊二日のツーリングを楽しんだ。そのおり、珠洲の道の駅で購入したおやつ、二種類である。ひとつは「かたやき」。堅やきは北陸で広く親しまれているらしいが、元々はヨーロッパ系であるらしい。その名の通り、いやそれ以上に堅い。不用意に齧ると、年寄りの歯は欠けて仕舞うかも知れない。
現地ではどのように食べているのだろうか。当然、お茶うけであろう。ふと思いついて、お茶に浸しながら食べてみた。なるほど、堅いまま齧るより、おいしいかも知れない。「失われし時を求めて」では紅茶に浸したマドレーヌの味から話が展開するというならば、お茶に浸した、「かたやき」から物語が展開してもよいのではないだろうか。そうでもないか。
もう一つが、かたくりだま。片栗粉と砂糖を固めたもので、水でゆるめてから、お湯をさしてかき混ぜると、独特のおやつが出来上がる。筆者の子供時分に、母方の祖母にせがんで、よく作ってもらったものと同じものである。一瞬にして気付いた。母方の祖父が子供の時分、明治27年に珠洲郡小木村から転出していたのだが、その妻、母方の祖母も能登に縁の深い人であったのだ。 (2011/10/12)
ワレも肉が喰いたい時があるんじゃ、年寄りだとて菜っ葉ばかりじゃイケンのじゃ。なんて何処の言葉か解らないセリフが頭に浮かんだので、肉を喰いに行くことにする。しかもワインじゃなくてホッピーも一緒に飲みたい、となるとほぼ此処しかあるまい。御徒町の「肉の大山」だ。普段は店先の立ち飲みばかりか店内までも客でいっぱいであるのだが、まだ宵の口にも早いくらいなので空いている。しかし、この暑さでもあるので、迷いなく店内を選んだ。
誰も待っていないし席も空いているのに、ウェイティング・リストの紙に名前を書かされて、席は空いていても少し待たされた。別に気になるほどの時間じゃない。これから夜の部らしく、その手順通りにやらなきゃ気が済まないとみえる。カウンターに案内されたので、間髪を入れずホッピー・セットを頼む。取りあえずの「やみつきメンチ」も。ホッピーを一口飲んで、メニューを眺めるとこれから肉を喰らうんだというテンションが上がってくるのよ。
最初に頼んだ「やみつきメンチ」を齧りながら、あ、うまいなこれ、追加の注文をする。えーっと、150gのステーキとコロッケと特製メンチと、それにあれだな海老フライを二本も。がつがつと喰っていると隣にサラリーマンが座らせられて、というのもこの店、店員がカウンターであろうが席を指定するのだ、ビールを頼んでいる。大ジョッキだな。ああビールも飲みたいな。そのうち、聞くともなしに携帯に話す声が聞こえてきて、「今、同僚と飲んでてさ、もう少し経ったら帰るよ」なんて家の奥さんに連絡してるらしい。同僚なんていないじゃないの、きっと、事情という程じゃない理由なんぞがあるんだろうけど。
エビフライにはタルタルソースが好きなんだけど、ま、別に構わないよ。ホッピーセットのナカもお代わりして油分たっぷりの独り飲みだった。何が良かったかと言って、これだけ頼んだ後の驚くべき勘定の安さだったね。(2012/7/20)
門前仲町の「あの」居酒屋は開店同時に常連がなだれ込んで、その後はもう誰も入れやしないという噂の店だが、たまに店の前を通っても、何時も噂通りいっぱいで入れやしないという店でもあるのだが、今日は土曜の所為か、たまたま開店から間もない時間帯だった所為か、独りだった所為か、すんなりと席に着くことができた。
刺身や天ぷらがメインの店でホッピーもないので、少し迷って「お酒」にした。燗か冷やかと言うので冷やにして、最初はマグロブツだね、直ぐに両方揃って目の前にやって来た。刺身の類いは目の前にある冷蔵ケースに用意されているらしい、なるほどね、ラップに押さえつけられていた格好が残っていて、少し乾いているけどこんなもんでしょ。狭い店に客を詰め込むためにカウンターは折り畳まれた紐のようにあるいはDNAのようになっていて、いやでも対面で酒をのむお一人さま、アベック様、オヤジ二人連れなんぞの酔っぱらいの様子が目に入ってきて、これはこれで楽しいかも。
客の回転は意外に早くで、次から次へと新しい客がカウンターに座っていく。なるほどね、ここは淡々と酒を飲んでいかなきゃいけない場所なんだな。ということで次は升酒と小柱を頼む。小柱は刺身なんだがやはりかき揚げがベストかね。一個ずつ醤油を付けてはちまちまと口に運ぶのは年寄りのリハビリに似ているな。箸を使うのはボケに良いというくらいだからな。
刺身ばっかりじゃアレなんでコチの天ぷらも頼んだ。あ、升酒もお代わりお願いします。はい、コチがやってきました。揚げたてなんで美味しいね。ま、下ごしらえに少し難があるけどね。時間がかけられないというのは分るよ。熱いうちにコチを片付けて、店のお品書きをキョロキョロしてると「大トロ刺身」の札が目に入った。絶対的には安いんだが相対的にはこの店の最高額のつまみで、いわばこの店のフラッグシップで、この店の横綱格で、これを食べればこの店の全てが分りますよというつまみだね。若干の気合いとともに注文した、「大トロ刺身お願い」。
この前の三崎漁港でも思い知った筈なんだが、同じ結果だった。つまり分類から言えば確かに「大トロ」なんだが、筋がわんさとある部分に、包丁を最高度に扱うのは時間がかかり過ぎてコスト超過になるので、ざっくり切り分けて後は客任せという仕事だ。ま、元々寿司ネタにはどうにもできない残り部分だね。養殖の餌が油に替わって溜まっている感じの、すごーく油っぽくて、口の中でとろけるというよりは、醤油でなんとかしろという刺身で、お勘定してしばらくしたらきっと気持ち悪くなるだろうという予感がした。
これは何とかしないといけないということで、帰る途中に馴染みのバルに寄って、スタンプが溜まったのでもらったコーヒー券を使って、マキアートとエスプレッソを二杯続けて飲んで、気持ちの悪い油っぽっさを口の中から洗い流して、やっと人心地ついたのだった。(2012/7/21)
ネットをブラウズ中に見つけて気になっていたバーに行って来た。ウリはセクスゥーな美女が紙巻き煙草を手巻きしてくれるというところだ。駅から近かったのですぐに見つかった。狭い階段を二階に上がると椅子席とスタンディングに別れていて、客が二人、スタンディングで居ただけだったので、そのあたりに加わった。ウィスキーはアイラが揃っていたので躊躇なくカリラを頼んだ。
さて、煙草を手巻きしてくれるのはカウンターの美女の筈なんだが、いやに日本語の上手い外国人が居て、
「マスター、どっから来たの?」
「え、僕山形だし」
「山形行ったことあるけど、マスターみたいな人は少なかったな」
「整形してイイ男になるってのもあるんじゃ」
「なるほどね、そうかも」
「で、どれしますか、スタンダードとフレーバー」
「こっちのスタンダードを」
なんてな具合に選ぶと、マスターは小さな紙を広げてに刻んだ煙草の葉を置いてから器用に巻く。最後に端を舐めて紙巻きを仕上げ、火をつけてくれた
「どう?」
「ま、いけるよ。でもこの店は美女が巻いてくれるんじゃなかったっけ」
「え、僕じゃいや?」
「端を舐めたし」
「じゃ女の子呼んで巻き直す?」
「いや、いいよそのままで。あまりマスターにばかり巻いてもらって、マスターが好きになってしまうのも困ると思って」
吸ってみたが葉巻程は強くなく、香りも割と軽めだな、
「フレーバーは嫌い?」
「いや、そんなことないよ。コーヒーでもハワイのはフレーバーものが結構あって、好きだよ」
「じゃこれとこれがそうなんだけど、やってみる?」
「じゃ、パイナップル・フレーバー」
そのうち女の子もやって来たが手巻きはできないようで、紙巻き器で巻き始めようとすると、くだんのマスターこれを制して、冷蔵ケースの中から袋を取り出してきて、別なのを巻いてくれた。あ々、これいいな、適当に強くてウィスキーと良く合うな。てな具合でだんだんに盛り上がって、マスターが環七で捕まった話や、そりゃ環七じゃ当たり前という話や、バイクの話やあれこれしているうちに、アルコールとニコチンで具合よく頭がフラフラしてきた。帰ろうとしたら、マスターが特製の手巻きをお土産に呉れたのだった。また行こう。(2012/11/30)
立ち飲みなんつーのはオヤジとうらぶれた年寄りしかしないものと昔は決まっていたものが、近頃は何でも立ち飲みになってしまって、フレンチを謳う店までも立ち飲みが現れていて、今やごくありふれた風景になってしまった。もとよりこっちは根っからの立ち飲み派で、「土方の立ち喰い」という今の日本では差別用語とされているような単語を含む用例までも昔から馴染みで、何の不都合も感じない。
つけ加えれば「土方(どかた)の立ち喰い」というのは「飯場(はんば)」の作業員への給食が立って食べることを想定して行われていたという「飯場」どころか「蛸部屋(たこべや)」の名残ではないかと思われる。もちろん、こういう単語は現在では殆ど使われなくて、それと同時に日本にさほど遠くない過去にそのような状況があったということさえ忘れ去られて、忘れ去るのはまだ早過ぎるのではないかという思いからわざわざ書き記しているのだが。
逆に言えば「立ち喰い」という単語に過去のイメージを浮かべるような古い人間が一掃されたので、「立ち飲み」と「フレンチ」が結びついても誰も不審の念を浮かべないから出現したのであろうし、バルのバンコ・スタイルが別方向から出現したので、あたりまえの風景になったとも言える。
というわけで、ふと思いついて神保町の立ち飲みフレンチに行ってきた。この店、開店早々の頃に前を通りかかって関係者と思われる人に声をかけられた覚えがある。流行りの、民家を改装した店で、一階がキッチンとカウンター、二階にテーブルの客席があるらしい。フードはフレンチにしては安めの設定でフレンチ風居酒屋と考えると少し高めの設定であるな。ワインの種類が限られているせいなのかワインよりフードが主体のせいなのか、ワインの値段は高めだ。
ここでは、パテ・ド・カンパーニュが自分のお気に入りとなった。この店はワインを飲むというより晩御飯を食べるために行った方がよい感じであるな。(2012/12/7)
ひょんな事でとある人のお手伝いをしたら大変に感謝されて、お土産にできたてのたいやきを頂いた。家に戻って紙の袋を開けただけで小麦粉を焼いたいい香りがぱっと広がった。成城学園駅ちかくの平太郎のたいやきで、頂いたのはこしあんである。四谷のわかばのたいやきがその重厚とも云える餡のおいしさに心惹かれるなら、この平太郎のたいやきはちょっと色濃く焼けてぱりっとした薄い皮とその内側のまだやわらかな皮の美味しさに頷いてしまう、という種類のものではないか。
たちまちに二匹を食べてから、さて、成城にたいやき屋なんてあったろうかと首をひねるも、どうも覚えがない。ググるとこの店、本店は愛知にあって、どういう訳なのか成城に設けた支店が本店以外としては最初の店らしい。知り合いが住んでいるとか?
さて、この店のたいやきはこしあんの他にあんとチーズ、あんとチョコレート、それに加えてそれぞれのたいやきを油で揚げたものも店先の品書きに書いてあるようだ。自分としてはしばらくの間、薄い皮とその内側のクリーミーな部分、そして尾っぽまでぎっしりと入ったこしあんの三位一体を支持することにしている。
三位一体というのはもちろんニカイア信条、正確には父と子に聖霊も加えて三位が同一本質であるとするコンスタンティノポリス公会議で再確認されたニカイア信条、のことである。同一本質と書いたがもともとはギリシア語でホモ・ウーシオスの訳である。で位、正しくは位格、がヒュポスタシスと呼ばれるものの訳であるのだ。(2012/12/14)
まだまだあるぞ
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