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算宝堂は、出版事業も始めた。最初は小林孤理魚の文庫本だ。今のところ、あちこちの知り合いに迷惑も考えず、送りつけている。もちろん、ご希望の方がいらっしゃれば、差し上げたい。
書棚

算宝堂文庫出版

このホームページには、あれこれと書き続けているが、当然のように読者の数が多いとは、言えない(これを読んでくれているアナタ、有り難う)。おまけに、ホームページは所詮、電子的な表現に過ぎず、一体、サーバー提供会社のどこのディスクにどんなビット列で保管されているのかも、解らない。空を流れる雲、川を流れる水と殆ど同じ程に、瞬く間に過ぎ去り、忘れ去られ、失われるものに違いない。

前にも述べたが、mortal である人間の限界を超えたいという希望は自身にもあって、何らかの方法で、書き物を残したいという妄念を持っている。そこで、これまで書いたものを取りまとめて、本の形にしようと考えた。巷によくある定年後の回想録出版の類いと同じである。ただし、巷のそれなりの方々は資金的に余力があるのか、回想録出版専門の業者に数十万の資金を投じて、自費出版を目論み、あわよくば書店の店頭に自分の本を並べたいと妄想して、暫くすると出版社から送られてきた本の山を目の前にして、始末に苦慮する、という事態となることが多いようだ。

勿論、一番、安い方法は自分で印刷して製本する方法で、以前に試してみたけれど、当然ながら製本の工程が素人では、うまくいかない。出来の悪い仕上がりを見て、やる気も失せていたのだが、たまたまKinko'sを利用する機会があって、データを持ち込めば、印刷と製本を頼めることが解った。試しに印刷に加え製本まで頼んでみたのだが、くるみ印刷と呼ばれている、無線綴じで、そうおかしくはない仕上がりとなった。しかし、やはり印刷コストが高いこと、印刷用紙を選べないこと等、いまいち感はぬぐい去れなかった。

ここまで来ると、もう少しつきつめたくなって、最初に印刷コストを下げるべく、ネットを探すと、両面レーザープリンタの中古品がオークションに出ていることが分かった。競争相手がいたが、適当なところで値をどんと上げて、とは言っても、1万円を少しきる位の値付けでイバる程のレベルではないのだが、落札した。次に印刷用紙を発注した。北越製紙の淡クリームキンマリ、A4、72.5kg、2,000枚、というのが楽天で3,916円だった。この用紙、名前通りに淡いクリーム色の紙で、印刷すると文庫本らしくなる。

印刷は、A4から文庫本が4冊とれるようにIndesignで案配する。家にあるコンピュータが遅いので、200ページ程の印刷に、プリンタにデータをダウンロードするだけで1時間程度、印刷そのものに20分程度はかかってしまうが、作業そのものは順調で、トラブルもなく完了できた。プリンタから出たばかりの、熱々の紙をさばくのは、札束じゃなくとも、何となくほくそ笑む感じで、嬉しい。プリンタを通って、少しそりが出た紙束に一晩、重しをかけて次の日にKinko'sに持ち込んだ。朝、持ち込むと夕方には仕上がっていて、ほぼ、思い通りの私家版算宝堂文庫ができ上がった。レシートをみると、表紙の紙代、A4の束を切るカッター代、くるみ製本代で、一冊400円をきる値で、紙代を含めても一冊500円程度、ま、こんなものだろう。穴の空く程紙面を見つめれば、印刷にオフセット程のキレはなくって、字に粗さが目立つのだが、このあたり、紙との相性やプリンタの設定で、もう少し改善できるかもしれないと思っている。

bunko

話はさらに続いて、この世に私の痕跡を残すべく、出来上がった文庫(サイズの私家版文庫)本を、国会図書館に納本した。国会図書館のホームページを見れば、分かるのだが、どのような本であっても、頒布を目的とした本の体裁が整っていれば、国会図書館はこれを受け入れることになっている。これは納本制度と云って、法律に基づいて制度化されたものなのだ。少しばかりどきどきしながら、でき上がった本を封筒に入れ、国会図書館に送付した。二週間も経った頃、納本頂き有り難うございました、というような実に有り難い言葉から始まる、納本の受け取り票が到着して、私の本は国会図書館の書庫の奥深くに、収蔵されることになったのだ。理屈の上から、私の子孫はいつでも先祖の痕跡を追うことができることになり、私の欲望は満たされた。 (2008/7/14)



算宝堂文庫1、おいおい百件、小林孤理魚、234ページ、平成20年6月

おいおい百件は、私が五十の坂を越えたのを機会に、人生の棚卸しをしようと思い付いて書いたものだ。これまでに頭の中に溜め込んできた、思いつきや、感想、記憶なんぞを一度、コンビニの商品棚から商品を全部おろして員数を点検すると同じに、掃き出してみることとした。棚卸ししてみると、思わぬ記憶が奥に仕舞い込まれていたり、中途半端ながらくたが出て来たり、なかなか気の利いたものもあったりで、やはり人間もコンビニと一緒で中身の点検が必要なことが判った。棚卸ししてみると、今までやってみたかった事があれこれと出てきたので、いっそのこと、やってみたい事を十種類のカテゴリに十個ずつ揃えることにした。そうすると今まで棚にあったものだけでは数が足らないので、なかば無理矢理に考えて、数だけでもそろえてみたのが、この十種類で十個ずつの百件だ。



算宝堂文庫2、一人芝居(上)、小林孤理魚、226ページ、平成20年6月

算宝堂文庫1では、「おいおい百件」と題して、今後に実行すべき項目を列挙してみた。今度はそのタイトルからイメージを膨らませて、一人芝居のシナリオを書いてみた



算宝堂文庫3、環境問題は頭の中、小林孤理魚、212ページ、平成20年7月

この文章は、環境に係る仕事で糊口をしのいできた私が、環境問題そして地球環境問題の裏に潜む、様々な事象について、考えを巡らしてきた覚えをとりまとめたものだ。まず、我々はどのような性質を持っているかについて考察した上で、環境問題を形作るのが欲望であることについて述べる。人間の欲望というものが消滅し難いことを示した後、欲望に起因する問題を解決する方法を、過去に向かって進めと、いうキーワードを使って述べたい。私はこの未来の過去を新江戸期と呼び、そのありかたについて言及する。



算宝堂文庫4、サラリーマンの単眼鏡、小林孤理魚、199ページ、平成20年7月

単眼鏡とは要するに双眼鏡を半分にしたようなものだ。双眼鏡を持ち出すのは仰々しいが、少し遠くで細かいところをよく見たい、と思った時に便利なものだ。数十糎(センチ)の距離にあるものをクローズアップするという、一寸変わったこともできて、切削中のドリルの先端を危なくない距離から観察する、というようなことにも使える。この文章はサラリーマンである筆者が、サラリーマン生活を過ごす中で、単眼鏡を通して世間を眺めたことをまとめたものだ。



算宝堂文庫5、五十年先の絵図面、小林孤理魚、143ページ、平成20年9月

世界の人口爆発に資源枯渇、異常気象に温暖化、個々の問題ではなくて総合的にこれに対処すべきであること言(げん)をまたない。そこで私が勝手に、このような世界における日本のあり方を描く、五十年先の絵図面、つまり、グランドデザインを考えてみた。「ない袖は振れない」という原理により、石油エネルギーを基盤とした現代社会は転換せざるを得ず、かつ、人間社会には下方硬直性があるので、社会の転換にクラッシュもしくはハードランディングが伴うのは避けられない、というのが私の結論である。この本に述べるのはクラッシュが起きた後に日本は存在可能であるか、という話と、クラッシュが文明崩壊にまで及ばないように最低の基盤を守るためには、どうしたらよいか、という話から構成されている。


まだまだ、上梓する予定だ。

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