そもそも循環式呼吸法とは何か、の説明が矛盾に満ちている。口から息を吐き出しつつ、鼻から息を吸う、というものだからである。実際には頬をふくらませて溜めた口腔内の空気を、舌を使って押し出しながら、鼻から息を吸って、結果として口から息を連続的に出す、という技術である。オバサンは食べながら猛烈におしゃべりすることができる、と聞くが、技術的には、こちらの方が数段困難であることに、異論はなかろう。
なぜこんな技術が必要かと言えば、数年前オーストラリアに行った折、空港の売店でデジュリドゥの実演販売が行なわれたのだが、その音色に惹かれて思わず購入してしまった、というのが事の発端だ。購入したこのデジュリドゥと呼ばれる笛、笛と呼んで良いのかどうか、長さ一米太さ七センチ程の空洞になったユーカリの木に過ぎない。これ以上の単純な楽器はあるまいと思われる単純さと、黄色の地に魚の模様が原始的に描かれた表面、そして何よりも野太い地面から涌き上がるような音色が気に入った。
さて日本に持ち込んで、あまり長いので船便にしたのだが、一ヵ月を超える努力の末、オーストラリアで聞いたような音を出すことはできた。だが出し続けることが出来なかった。今も依然できない。息を吐きながら吸うという、超人的あるいは変態的技術が必要なのだ。二種類の声を同時に出すという、ホーミーに匹敵する難しさではないのか。どちらもできないのだから想像に過ぎないが。
top士大夫(したいふ)が備えるべき六芸とは、乗・書・数・楽・射・礼、であるという。自分は士大夫ではないが、昔の人が立派な人物のあるべき姿のひとつとして挙げているからには、及ばずながらその顰み(ひそみ)に倣いたい。馬術と弓術はひとまず脇に置いておくこととして、残りを何とかしたい。なかでも緊要なのが書で、筆を取る度に紙の上に残った何とも言えない字については、全くもって何とかしたい。
小学生の頃には、近所の先生に書道を習ったことがある。四十年も経った今でも全く同じシステムがあることを、ついこの間知らされて驚いたのだが、月謝だか会費だかを払っていくと級位がじわじわと上がって行く。書道会の雑誌の後ろに、段だの級だのと小さな活字で町村と氏名がびっしり印刷されていて、毎月その雑誌を開く度に自分の名前がどこにあるのかを探すのは、少しどきどきとしたものだ。友達が自分より上にあるのが悔しく、自分が上にあれば誇らしく、なかなか子供心の機微をついている。ある時、初段になった余勢を駆って地区の書初め大会に出ることとなった。ところが大会当日どういう加減か、先生の貸してくれた上等の筆を忘れてしまった。気の小さい自分はすっかり動転してしまって、用意された紙に寸詰まりの字面、おまけに墨をろくに擦らずに書いたものだから薄墨の祝い書き、並べて張り出された自分の作品の前に審査員が立ったその時は、穴があったら入りたい最初の出来事だった。で、書道はそれっきりになってしまったので、四十年後の今、昔の恥をすすぎたいと。尤も書初め大会に出場する気は毛頭ない。
ところで、士大夫のついでの話で、書き留めておきたいことがあった。ギリシア・ローマ神話の美の女神、ミューズは一人の女神ではなく、ゼウスと記憶の神ムネモシュネーの間に生まれた九人の女神の総称で、学問を含めそれぞれ別のジャンルを担当しているのだという。カリオペ(叙事詩)、クリオ(歴史)、エウテルペ(器楽)、タリア(喜劇)、メルポメネ(悲劇)、テルプシコレ(舞踏)、エラト(恋愛詩)、ポリュヒュムニア(賛歌)、ウラニア(天文) の九人だ。
top勿論、レースに出場するつもりはない。車を運転していて常々思うのだが、車という不安定な機械を操縦するのに、最初に自動車学校で習ったきりで良いのだろうか。自動車の運転というのは、半ば無意識でハンドルとアクセル、ブレーキを扱う技術だから、自転車やスキーを扱う場合のように身体技術つまり神経反射がものを言う技術と考えられる。
この点で、自動車学校というのは車を動かす手順は教えるが、運転技術は教えないと言える。これと比較すると電車や船の運転というのは、確認と実行のループがその基本だから、手順の技術と考えてよいだろう。
さて車の運転技術なんだが、他の車が法規通りに走って居て道路状況も完璧、歩行者も居ないというなら自動車学校で教わった通りに運転しても、電車の運転と同じように安全に目的地に着けるだろう。だが現実はそうではない。大雨は降るし雪は降るし、猫が信号無視で横断するし、右折の時には直進車の蔭からバイクが飛び出して来るのだ。
大体において身体的な技術が失敗なしに上達するだろうか。だが大きな失敗を回避しつつ、限界を少しずつ上げていって、自分の技術レベルを上げるというのは、かなり危うい。車の挙動はドライバーの状態、道路状態、天候、その他極めて多数の条件に影響されるので、限界を超えた時の挙動が予測不可能なのだから。以前に早朝の山手通りを走っていたら、凄い速度で追いこしていった車があったが、ものの一分も走らない内にその車がガードレールに突き刺さっているのに出くわした。ホーンが鳴りっぱなしで右手が窓からだらりと垂れ下がっていたから無事では済まない。
私もABSが効く程度のフルブレーキやアクセルとブレーキの同時踏み込みなんてのを試すことがあるが、余程、場所と時間を選ばなきゃいけない。それでも誰かが遠くから見ているかも知れないと思うと、かなり恥ずかしい思いをする。そんな訳で、素人対象のサーキット走行会に参加して車の限界を身を以って試してみたいと思っている。なにせ乗っているのがマーチだから、公道でも限界に近いのだが。
top仕事として、人工知能を用いたデータベース検索システムの開発、というプロジェクトを実行したことがある。これも十年以上も前の話で、そのころは計算機が何でもやってくれて、そのうち人間は遊んで暮らせる様になると、信じられていた時代だった。
そこで、もしそのような時代が来るとすれば、次の連鎖が招来されるだろう、と推測したのだった。遊んで暮らせる様になる->人間が馬鹿になる->視野狭窄になる->複雑なシステムが扱えなくなる->社会的システムに不具合が生じる、という連鎖だ。
仕事の話だから推測したならその対策も考えなければいけない。そこで先人の知恵や経験を集積しておいて、問題の起きた時に答えを捜し出してくれる、仕掛けを作ってはどうかと、考えた。それが、人工知能を用いたデータベース検索システムだ。
勿論、計算機が知能を備えて人間の代わりになる訳はない。しかし、緊急の問題を抱えた人間をどのようにサポートするかについては、ヒントがあって、まずその人間を落ち着かせること、またやる気を出させること、等が重要なポイントであることは、よく知られている。さらに将来、人間が馬鹿になる->視野狭窄になる、という連鎖の時代の中で、補助すべき人間は、子供っぽい性格であるに違いない。
ところで、人工知能研究の初期に、人間というのは自分の内面を、相手がどんなものであれ、容易に投影する、という性質を持っていることが、既に知られていた。何をいっているのかと言えば、白雪姫の母親の持っている魔法の鏡は、知性があろうとなかろうと、簡単な応対をするだけで、女王の思い込みの手助けをすることができる、ということだ。
そこで、これらの考え方を取り纏めて、仕掛けを試作して私の考えが妥当がどうか、を確かめるのがこのプロジェクトだった訳だ。具体的には、三十代の女性がカウンターの向うにいて、さらにその背後に図書や資料の詰まった棚が、並んでいる、というイメージだ。なぜ三十代の女性か、と言えば、落ち着いた物腰が、対話の相手に安心感を与える、ということを期待しているのだが、現実とは大きな乖離があるかも知れない。
肝要なのは、そのイメージを文字通りに実現するのではなく、この仕掛けを利用する人がその頭の中に、このイメージを作り出せるように誘導する、というところだ。このプロジェクトからは、途中で離れてしまって、最終的な結論を出せなかったのが残念だった。記憶に残った事が一つあって、ある利用者が、このシステムを使った時の交信記録に残っていた。
思った通りの結果を得られなかった彼が、腹を立てて、思わず「馬鹿」とキーボードから打ち込んだら、「お役に立てず大変申し訳ありません」とシステムが答えた。すると彼は「済まない、言い過ぎた」と打ち込み、システムは「それでは質問をどうぞ」と応えて、話が進んで行ったのだった。確かに彼の頭の中には、あるイメージが想起されていて、彼はそのイメージと問答をしていたのだと。
で、話は変わるが、団塊の世代の一人である私は、先生と呼ばれる存在から、丁寧に何かを教えてもらった記憶がない。このところ、社会人大学は熱心に学生に教えてくれるというから、人間の心理について、一度きちんと学びたいものだと思っている。
top何でも、最初は一人で始める主義なのだが、家と言わず小屋であっても、それを建てるための整地や現場に至る道の開削等、地面を掘り返す仕事が生ずる。勿論一人で始めると覚悟を決めたからには、スコップを使ってもよいのだが、土を掘るのは労力の割には能率の上がらない作業だ。土方と蔑称されるように、きつい仕事の割に賃金が少ないことからも分かる。粘土質の地面にでもぶち当たった日には、雨が降ればスコップにこびりつき、乾いていれば乾いていたでかちかちに固まって、剣先(スコップ)の先が地面に少しも突きささらない、ということになる。
人に頼んでもよいのだが、どうしても自分だけでやりたい、となるとパワーショベルしかない。今は大小品揃えが豊富で、その名もパワースコップという様な超小型機種もあるようなので、気楽に使えるらしい。尤も労力なしに土を掘ることに慣れてしまうと段々と大きな機械を使うよになって、必要もないのにあちこち掘り返すことに成りかねない。かの本田宗一郎は、パワーショベルで自宅の裏山をめったやたらに掘り返すのを趣味としたそうだが、その気持ちはよく解る気がする。
パワーショベルの扱いに慣れて、トラックの荷台からの積み降ろしに、一杯に延ばしたショベルの先を地面につけて、それを支えに運転しているパワーショベル本体の前を浮かせて、向きを変える、と云う様な技も身に付けたい。面白さという面ではパワーショベルやブルドーザに比較すると得点が低いのだが、クレーンの運転も習いたい。
top仕事で海外に行く時には、仕事柄、一応スーツを用意しなければならない。だが飛行機の中を始め、移動や休みの日にはリラックスしたいので、楽な服装をしたい。最初の頃はスーツは皺にならないようにワイシャツ共々スーツケースに容れて旅行に出た。ところが大きなスーツケースを持ち運ぶのは性に合わない。小振りの旅行鞄に皺にならないようにスーツを収めようとすると、大きな場所を占めるのが癪にさわる。結局、ワイシャツが皺になるのは仕様がないと諦めて、スーツは一着だけ、最初から着て行くことにした。家を出た時から首が苦しいので、旅行そのものが嫌になる。
翻って、和服は意外に旅行に向くと言われているようだ。畳むと平になるので、持ち運びが楽なのだ。日本の着物を称して、畳むと悲しい程に薄くなると言った輩がいるが、畳み皺さえ着物としてのアクセントとなる和服は、このモノの溢れる現在、嬉しくなる程薄くなると言うべきである。最初から洗い張りを考えてあって、仕立て直しすることが当然とされているのも、省エネルギー、省資源の白眉(はくび)であると賞賛すべきだろう。そういうことで、浴衣の仕立てのできる人さえ少なくなっているというから、着物が本当に簡単に解いたり、仕立て直しができるものなのか、実際にやってみたい。浴衣地ばかりたまっている女房の浴衣も仕立ててやることもできよう。
top男が踊りを踊るなんてと、頭から思い込んでいた子供の頃は、運動会に全員参加で躍らされるフォークダンスが、いかにも自分に不釣り合いなのが、気になって、可愛い子と手をつなげることができようとも、依然嫌だった。今になって考えても、あのフォークダンスというのは面妖(めんよう)な行事に思われる。字面から云っても英和辞典をみても、民族舞踊なんだが、なぜ運動会に踊らされたのかと調べてみたら、案の定、大戦後に米国文化情報局=CIAが音頭をとったのが始め、CIAに併行して、YMCAが青年活動の一つとして力を入れた、という歴史が分った。
如何にも木に竹を接いだという感じだったのは、そういうことであったのかと、納得した。とは云ってもその後、長い年月がたてば社交ダンスよりはなじみやすい、ということで中高年に普及しているらしい。フォークダンス協会というのもあるようで、男女七歳にして席を同じうせず、という教えへの反発はやはり相当なものだったようで、やはり男女は手でもつなぎたいと願うのが本能だったのだと思われる。
だが、人に触ったり触られたりするのは嫌だ、という私のような人間のいるのも事実で、踊り=ダンス=男女の触れ合いという米国流の押し付けには、我慢がならない。かといって、踊るのが嫌だというわけではない。盆踊りで櫓(やぐら)の太鼓の周りをぐるぐると踊り回る、というのは、子供の頃の恥ずかしさがない、この時分では、むしろ積極的に参加する程だ。ここは、酒の席でもよし、一緒に踊る必要もない、かっぽれと行きたい。
topスターリングラードの戦いは、私の父親の眼を通して見たもので私に伝えられたものの一つだ。尤も、父がシベリア鉄道に詰め込まれてこの辺りを通った時は、戦争は終わっていたのだが。スターリングラードでは、燃えるものは全て燃え尽くして、大軍に包囲されたソ連軍が頑強に、守り続けたところだ。だが、この都市の西にある黒海を望むタガンロストフは、父がPOWとして強制労働についていたところだから、決して無縁ではない。
戦火に何度も焼かれて草木の生えていないところ、水たまりに靴を濡らすのが嫌で靴を手に持って歩く娘、演習で山を一つなくしてしまうソ連軍の重火器の威力、土方ではノルマが果たせず黒パンの支給が減らされて腹が減り次の日にまたノルマが達成できず結局餓えること、技能工のノルマは楽そうだったので機関車修理工に経歴を詐称(さしょう)して志願しタガネで番号をつけながら機関車を分解した話、砲塔を取り去ってトラクタに改造したスターリン戦車が踏切で線路を曲げてしまった話、捕虜が二三人かかってやっと持ち上げるレールを一人で担ぎあげるロシアのオバサン、手抜きの屋根鉄骨工事をする共産党員の溶接工、花壇を踏み渡らず遠回りするドイツ軍捕虜、日本人捕虜も順番に演説するファシズム弾劾集会、マジャール人と朝鮮人は二等国民だと言う一等国民のドイツ人、ついでに友達になったハンス、ソ連におべっかを使う将校、等というのは父が繰り返し語った話だ。
だから共産主義とロシア人は好きではない、だが嫌いでもない。どちらに肩入れしてもろくなことにならない、と思っている。父の話で割に気に入っているのがロシアの狙撃兵の話だ。遥か遠く、波間に浮かぶカモメをロシアの狙撃兵が狙い撃つのだという。到底当たるとは思われない距離のカモメが、飛び散ってしまうのだという。以前よくみた夢がある。狙撃銃を抱えた私はたった一人で暗いトンネルに追いつめられている。敵が次第に迫ってきて、心臓がどきときと脈打つ。しかし何時も逃げられない。音を立てると発見されるからだ。そしていつも見つけられて。
top士大夫が備えるべき六芸とは、乗・書・数・楽・射・礼、であるという。ここまでは習字の先生に就く話と同じだが、礼もなんとかしたい。となると茶を習うにしくはない。茶の精神というような類書は数あるが、どうも読んでも釈然としない。歴史的にみて禅に近いのは間違いのないところだが、参禅したこともない輩(やから)が何を言おうがどうにもならない。実際に体験するしかないように思われる。
素人を集めた体験茶席なるものに紛れ込んだことがある。亭主と正客、その他の客に分類されることが解った。体験茶席の場合、まず客同士がプレッシャーを掛け合って、自薦他薦の後、正客が決まることが分かった。プレッシャーを掛け合って、きまずくなった客に、亭主がお気楽にと必ず声をかけることも分かった。正客は釜の一番近くに座って亭主との話を切り出さねばいけないことが分かった。出される菓子を食って口の中を甘くしてから、にがい茶を流し込んで、最終的にさっぱりさせることが解った。客の全員が茶を喫し終えたら、亭主が季節に合わせて床の間をしつらえた様子を、使われている茶道具ともども、正客が褒めなくちゃいけないことも解った。
だが、戦国大名以来、松永安左エ門に至るまで、大物と言われる人物が茶に狂った事を考えると、これだけで済むようなものじゃあるまい。
topそもそも楽器の演奏を教わる、という発想自体がなかったのだ。小学校の音楽の時間、ピアノに触るどころか側にさえ近寄らせてもらえなかった。替りに与えられたのが紙鍵盤で、紙鍵盤というのは紙に印刷したキーボードのことだ。軽くて、折り畳みできるから、持ち運びに便利この上ない。非常に安価なことも特徴である。欠点はキーを押しても叩いても動かないのでキータッチを感じることができない事で、中でも致命的なのは全く音の出ない点だ。
子供心にも馬鹿にされた思いがして、あっという間に音楽が嫌いになった。それでも一二時間、音楽の宿題として出された運指を覚えようと紙鍵盤を前に勉強したところがいぢらしいという他ない。沖縄なら仮令(たとい)カンカラ三線であろうとそこに音楽があったのに、文化果つるところに生まれた身の悲しさ、それから暫く(しばらく)して買ってもらったハモニカが唯一の楽器、音楽の入り口だったのだ。だが全て過ぎ去った昔で、今は、音楽が楽しいもので、楽器は先生に就いて習わなければ身に付かないということも理解した。
ここで話は変わるのだが、源平兜軍記という元が人形浄瑠璃で歌舞伎となった舞台があって、この歌舞伎、阿古屋(あこや)責め、という場面がハイライトになっている。どういう場面かと言えば傾城の阿古屋が琴、三味線、胡弓の三種の楽器をやむを得ず弾かされるというもので、近年は玉三郎しかできない、しかも見事に弾きわける、というので玉三郎ともども増々人気の高い演目だ。
さて胡弓はこんな風に江戸時代にはポピュラーで、しかも日本では唯一の擦弦楽器なのに余り顧みられない楽器だ。有名なのは越中八尾のおわら風の盆くらいか。という訳でマイナーなもの程、好きになる臍曲がりの私としては、胡弓を習いたいと思っている。勿論、一番大事な先生の充てはついているのだ。
top■ ■ ■