少年サンデーの創刊号を買ったのが自慢だ。ただしもう捨ててしまっているので証拠がない。その頃、少年向け雑誌と言えば、その名もずばりの少年というのがあって、近頃人気復活の鉄腕アトムや鉄人28号もこの月刊誌に連載されていた。気がする。しかし、月刊というのは、次号までが待ち遠しい。子供の感覚で一ヶ月と言うのは、初老の私のそれより何倍も長かったような気がする。
だから、一般向けも漸くにして勢力を増しつつあった週刊誌が子供向けに創刊されるというのは子供心に何か新しいものを感じた。初期の少年サンデーに連載されていて今に印象の残っているのは海の王子とスポーツマン金太郎くらいなんだが、運動神経に劣っていた私としては、スポーツ物は余り好きになれず、此の頃の定番の一つであった科学ものを好んだ。その頃の記憶は漠としていて、前後の関係がはっきりしない。だから一般的な子供の例にもれず、暇さえあれば描いていたお気に入りの主人公だけが朧げな記憶に残っているわけだ。もっとも主人公とはいっても鉄人28号の主人公である金田少年は、私のノートには登場せず、もっぱら鉄人28号の方だけだったのだが。エイトマンは中学生の頃のお気に入りだったように思う。
私の高校生の頃からはギャグ漫画と劇画というジャンルが開拓されて、赤塚不二夫の繰り出すギャグに笑い転げた。大学生の頃、喫茶店で読む山上路夫の笑いは殺人的だったが、光る風のどうしようもない我々日本人の陰惨さは、日本に恐怖のなくなっていない事も、思い出させてくれた。遊びとは言え、死と喜びが背中合わせになった冬山に親しんでいた私は既に分裂気味であった。こんな時、江口寿司の漫画はひたすら明るいだけだったが、線の美しさには、胸の苦しささえ感じたのだった。若造のまだ世間知らずの頃だ。
topつい先頃、通勤鞄を買い替えた。ずっと使い続けていた鞄で愛着のあった鞄だったのだが、これだけ使えば鞄も本望だろうと思われたので使うのを諦めたのだった。どの位使ったかというと、黒い革が擦り切れて白くなった部分をマジックインクで黒く塗り始めたのが五年前で、持ち手が真中から千切れたので、補強のナイロンテープで挟んでリベット止めし、水道ホースから十センチ程切り取って膨らみを持たせ糸で巻いてから革を貼り付けたのが一年前だから、どんなに長く使っていたかが判ろうというものだ。
という訳で新しい鞄を買う積もりになって、街に出て探したのだが、結局のところ鞄ではなくてバッグと言う他ないものを購入した。バリスティックナイロンの表地のごく普通のバッグで次の日電車に乗ったら同じ物を抱えたサラリーマンを見つけた。革と違って材質が厚いとはいえ布なので、一月も経たない内になんとはなしにくたびれて来た。
新しいバッグはB4の横型で、古い鞄はA4サイズの縦型の鞄だったが、一体自分はどんな鞄を使ってきたのか思い出してみた。余り永いこと同じ鞄を使っていたので、その前がまるで思い出せない。一晩経ってから思い出した。同じメーカーの同じ型の鞄を一つ前の時も使っていたのだった。その前はどうだったかと云うと手ぶらだったのも思い出した。つまりおよそ三十年間のサラリーマン生活でたった二つの鞄しかも同じ型の鞄しか使わなかったのだった。
このままでは、今の安物のバッグを死ぬまで使い続けなければいけない。安物だから良くないとは言わないが何時も持ち歩くもの、一日で一番長く手元にあるものとしては少し情けない。ただし、これまでも古い鞄を替えようかとあれこれ探していたのだから、もう探すのは止めて、いっそ誂えることにしたい。浅草に私の気に入りに近い品が揃っている店があったので、ここで注文したい。
ところで、今一体何が鞄に入っているかと言うと、ここで恥ずかしながら列挙してみたい。大事なところからはパスポート、保険証の写し。よく使うものから順に電子手帳、個人用のデータの入った1.8inchディスク、MD、夏なので帽子、筆記用具と印鑑の入った筆箱、折り畳み傘、電子手帳の充電器ぐらいか。こうして見ると、昔のように手ぶらでも必要なものはポケットに入れてなんとかなるか、という気がしないでもない。
要するに、あまり小さい袋だと酔っぱらった時に忘れてしまうので、鞄という格好になっていれば本人は勿論、周りの人間が注意してくれるだろう、というのが鞄の必要な理由の一番のような気がする。するとA4の縦型で薄っぺらな鞄でショルダーにするための金具もいらない。重い資料を渡された時のための用意にナップサックをこの鞄に入れておけば万全ではないか。
top乗り物の中では、やはり馬車が最高だ、と思う。馬車といっても海外小説に出てくるような、扉付きの辻馬車ではない。ごく簡素な荷馬車を考えている。ただし大きな荷物を運ぶつもりはないので、車輪が二つ。座席も必要ないだろう。
これまでに利用した乗り物、歩くより早く進む、という観点からみた乗り物なんだが、列挙すると、始めは三輪車だ。それから馬車、馬橇、スキー、自転車、列車、バス、トラック、オートバイ、乗用車、ボート、遊覧船、客船、ジェット旅客機、セスナ、プロペラ旅客機、ディンギー、セールボート、クルーザー等か。
なぜ馬車か、という話だが、速いからでは、勿論ない。快適とも違う。落ち着いた爽快さ、とでも言うべき感じである、つまり馬車に乗っている時の音、蹄の音、車輪のゆっくりと転がる音。地面から普段より少し高めの場所にあって、頬にあたる風や日の光、膝を濡らす雨などの自然。そして汗に濡れた馬の体から漂う干し草の匂い、等が心地よいのだ。だが一番素晴らしいのは、手綱を持ったまま眠ってしまっても、家に着くことなのだな。
top子供の自分は足が遅いことに始まって、運動神経が鈍いと云うことに随分とコンプレックスを感じていた。どうした加減か、一メートル程の高さから飛び下りるのもできなかったし、飛んでくるボールが怖くて、野球はおろかドッジボールも苦手だった。客観的にみて内向的な性格な上に泣き虫だったし、早生まれで小学校の頃は体が小さいこともあったので、しようがないか、と思われるのだが、思いのほか負けず嫌いな所もあったので、運動に関しては引け目を感じていたのだ。
スキーやスケートは存外にできたから、やらないからできない、という悪循環に陥っていたのだろうと思われる。高校を出るくらいまでは、こんな感じで、大学で本州方面から来た仲間が当然のことながら、スキーが下手糞なのを発見してから、考えが変わったと思われる。同時に世の中が分ってきたのでそんなことには拘泥しなくなったのだ。
だが子供時代を引っ込み思案で過ごした故に、あつかましいだの、ずうずうしいだの、乱暴だの、凶暴だのには、憧れが残っている。そういう訳で、パンチパーマをかけたり、金のネックレスをかけたりするのは、一度くらいはやってみたい。まるで不良中学生のようで恥ずかしいようだが、不良中高年の第一歩として相応しかろう。
top今乗っている自転車なんだが、昔々、渋谷のパルコで購入した。同じ自転車屋でも恰好良さが売り物なので、ブランド名があってオージェ・アーレンスと謂う。かれこれ十数年、乗り続けているので、街中にこれより古いのが見あたらない。何故そう言えるのかと云えば、ペダルの付いているクランク、右足側には大歯車がついていて、左足側には何もついていない部品のことなのだが、この左右のクランクは、クランク軸に取り付けられている。
今の自転車は、クランク軸にきったネジで、この軸とクランクが結合されている。ところが昔は、この二つがコッター・ピンという部品で結合されていたのだ。このコッター・ピン、クランク軸と直角な方向に取り付けられているので、一目で区別できる。私がこの自転車を買った時分は、まだ幾分がこのコッター・ピン方式だった。ところが今では全く、あるいは私の見る限り、クランクにこのコッター・ピンの付いた自転車は存在しない。街中にあれだけの自転車が溢れているのに、私の自転車と同じくらいに古い自転車が、ただの一台も見つからない、というのは同じ自転車を十年以上使い続ける奴はいない、ということだ。
殊に近年は自転車が中国製になって、値が一万円をきるようになり、使い捨てにしても、金が、惜しくないという状況になった。自転車も機械といえるから、油をさしたり、消耗品を取り換えたりしなくてはいけない。現に私の自転車も、前後のタイヤを二回は替えているし、ブレーキ・アセンブリもとり替えたことがある。サドルもスタンドも二回は取り替えた。この間はチェーンも替えた。自転車という道具は、いや金属製の道具というもの全てが使い捨てるようなものではなかった筈だ。世の中から、手入れとかメインテナンス等の技術が失われていって、手に関する意識と単語が同時に失われていくのを見るのは忍びない。こんな事を書いているうちに、自転車を買い替える気がなくなってきた。意地でも使い続けるぞ。
top葉巻ケース作りなんだが、桜材のように硬い木を彫り込んで、葉巻の入る深い凹みを作らなきゃいけない。手持ちのノミや彫刻刀で、均一な深さに彫るのは、かなり難しい。そこでボール盤に、ボール盤というのはモーターの力で回転する軸にドリル刃を装着して材料に穴を開ける機械なんだが、これを使うことにした。
ドリルの代わりにトリマー用の、トリマーというのは主に木の板の端を例えばキャビネットの天板の端のように様々な形に削るための機械なんだが、これ用のビット刃を付け、ボール盤のステージにはXY万力を付けて、XY万力というのは万力で挟んだ材料を二つの握り付きのハンドルを回して縦横自由に動かす工具なんだが、これで材を動かしながら、工作することにした。やってみるとそこそこ削れる。実際に、この方法でもう五六個の葉巻ケースの木地を作った。
ところが、やはりと言うべきか、安価なXY万力では、ガタが大きい。かなり神経を遣わなければ、奇麗に仕上らないのだ。ということで、卓上型のフライス盤が欲しくなった。フライス盤というのは、XYステージに切削物を固定して、上からモーターの回転軸に取り付けたエンドミルと呼ぶカッターで、材料を加工する機械だ。平面を研削する専門の機械で、金属加工が主目的だから、葉巻ケースのための木材加工なんかは楽々とできる筈だ。さらに卓上形は小型の精密加工用なので、場所をとらないのがよろしい。ところで、この卓上型フライス盤だが、価格が二十万近くする。葉巻ケース販売という趣味の事業のためとは言え、不相応な設備導入を図って倒産を招く、というパターンそのものだな。
top東京の夏は暑い。朝から日の光は熱を従えて降り注ぐ。太陽を避けながら駅のプラットフォームで電車を待っていると、この暑さの中に黒いスーツを着込んでいるサラリーマンが居る。黒いスーツは黒地に太陽の熱を吸い溜めてから、周りに熱波を放射している。池に投げ入れた石の波紋のように、熱波が彼を中心に広がってゆく。暑い、実に暑苦しい。
暑苦しくはないのかと横目で見遣れば、彼の肩甲骨の下あたりには、もう薄ら(うっすら)と汗の染みているのが見える。肩にパッドの入った背広は、肩肱張った生き方をするためには必要だ。敗者になることが最も畏れられる社会では、肩肱張らない生き方は忽ちにドロップアウトしたとみなされる。だからどんなに暑かろうと、サラリーマンは肩パッドの入った背広を脱ぐことができない。
だが外は暑く、熱中症になりそうなのでと言い訳して上着を脱ぐ。背広を上着と云うからは、ワイシャツは下着だ。下着だから駱駝(らくだ)の股引きと同じに、目立たない小さなボタンが付いている。だから背広を手に持つ。「私は背広を着ている。今は一時的に脱いでいるだけ」。だが舗道の熱気は目が霞む程で、頭に手をやれば日射しは髪の毛を焙りつけていて髪はチリチリと音をたてそうだ。
長袖も暑い。時計を着けた手首が汗でヌルリとしてきたから、両袖を捲ってしまえ。ネクタイを巻き付けた首のぐるりが全部、汗になってしまった。ネクタイも取ってしまえ。だが上着なしのサラリーマンが舗道を歩いていると、その弛緩した姿は昼飯からの戻りにしか見えない。ネクタイ無しのワイシャツが歩いているのはさらに間が抜けている。
人は相対すると、相手が女なら胸元を、相手が男なら喉元を見る。ネクタイの結び目は丁度喉元にあって、相手の視線を最初に受け止める。ネクタイがないと人は相手のどこを見てよいか迷ってから思う、「この人は下着で居るんだ」と。しかしもう人にどう思われようと構わない。明日からは、半袖、ノーネクタイにして首と胸に風を入れようと心に決める。
ワイシャツを誂える話だったが、あまりの暑さに背広への恨みつらみの話に変わってしまった。冬の寒い日にちゃんちゃこを着て炬燵に入りながら、初老の男性向け雑誌に、ワイシャツを誂える、という記事を読んで、その気にさせられた事があったのを思い出した。
top出かける時は忘れずに、持って歩くのはクレジットカードではなくて、お風呂セットで、タオル、石鹸、シャンプー、着替え、の一揃いを袋に入れたものなんだが、持ち歩いて邪魔になることより、持って来なくて残念と思う場合が多い。散歩や旅行で見つけた銭湯に入るためだ。
と、こう書いてみると、この風呂セット、もっと手軽にできることに気が付いた。まずシャンプーはなくとも良い。石鹸で十分である。着替えについては季節による。パンツは外せないが、春と秋はこれに靴下を加えるかどうかが微妙なところだ。夏になると更にランニングシャツを足すかどうかが、迷うところだ。タオルについては断然薄い方が使い易い。厚いタオルに石鹸を塗り付けても、石鹸が生地に吸い込まれるばかりでそのもたもたした処が気に入らない。いっそ、日本本来の手拭いが良いのだが、もらいもんのタオルが山とあるので、使い辛いのを我慢しているのだ。タオルの方がよい、という人も多いであろう。手拭いで体を拭くと確かに直ぐにびしょびしょになってしまう。だがきっちりと絞ればよいのだ。きちんと絞った手拭いで拭いた体の表面は確かに湿っていよう。しかしそれは直ぐに乾いて、タオルで拭いたのと同じになる。
寒い時には僅かに皮膚に残った水分でも冷たく感ずる。タオルの方が暖かいであろうことは認める。だが、毎日繰り返される大量のタオルの洗濯は余りにも水とエネルギーの無駄遣いではないだろうか。手拭いをしっかりと絞ることのできない人間の増えたこととあながち無関係ではあるまい。
先日、浅草のふじやを訪ねたら、店先が新しくなっていた。手拭いを求める客が増えたとみえる。潰れる畏れがなくなって嬉しい。好きな図柄で手拭いを誂えて、皆に配って差し上げたい。
topガチャンガチャンと連結器どうしをぶつけ合いながら、何十両もの石炭貨車の列が目の前を過ぎて行く。遮断器に手をかけて先頭の機関車を探しても、機関車はカーブの先にとうに隠れてしまっている。それでも、貨車は後から後からやってきて私はそれを数えているが、やがて右手から列車の最後尾がやってくる。最後尾には黒い車掌車がついていて、間近に見上げるその車掌車は存外に大きく、テールランプは赤い丸い板の真中に大きく鈍く灯っている。暗くなり始めた左手の山あいに列車は熔けこんでいって、赤い二つの光を私の眼はいつまでも追いかける。
車掌車には前後左右にステップがあってデッキに上がることができる。車掌はデッキに立って流れ去る信号器とレールを見ている。デッキからドアを開け、車掌室に入って、機関車の運転士に異常なしを電話する。思い出したように、カンカンとなる踏切の音が暗闇を驀進する列車の脇を過ぎ去る。車掌室の隅に置かれた小さな机の前に座ってスタンドランプのスイッチを捻れば薄橙色の光が小さく机を照らすから、揺れる車内で私はゆっくりと大きな字で日誌をつける。少し寒さを感じて詰め襟の喉元を確かめてから、小さな石炭ストーブの火をデレッキで掻き回す。窓の外を見遣ると、もう真っ暗で、黄色くて薄暗い室内灯と私の姿だけが写っているが、小雨の降り始めたものか、雨の筋が二三本窓を斜めに流れる去るのが見える。
ガタンゴトンというレールの継目を拾う音の間隔がさっきよりゆっくりとなって、列車は登りにかかった。ゆっくりとなったその代わりに力行する機関車の激しく蒸気を噴き出す音が貨車の車輪とレールが軋む音に交じってよく聞こえる。内ポケットから懐中時計を取り出せば、時間通り、後二十二分で峠を登りきる。峠で機関車の力が一瞬抜けるだろう。車掌車は滑るように進んで白く光るレールを跡に残すだろう。
だが峠の車掌車はもう見ることができない。今の列車の最後尾はすっぱりと切れていて、何も付いていないのだ。そして機関車と貨車そして車掌車の組合せは、もう鉄道模型でしか再現することができない。鉄道模型は、私の長い間の憧れのアイテムだったが、これまで結局手にしたことがない。スペースの必要なことと、コンパクトに格納できないことが躊躇していた理由のひとつだ。尤も昔はOゲージと呼ばれるかなり大型の線路を走る鉄道模型とそれより小型のHOゲージしかなく、最低限の線路のループと機関車と列車の組合せでもかなりの費用と場所が必要だった。子供に手の出せるような趣味ではなかったのだ。その後しばらく経って線路の幅が一センチ米程のNゲージが出現して、机の上にレイアウトできるようになったのだが、その頃には趣味が変わってしまっていたのだった。
だが近頃は、個人用の車掌車を借り受けて貨物列車の最後尾に接続してもらった、あなた任せの旅を夢想する。車掌車の中には一段高い場所をしつらえて畳を敷き、蒲団にくるまって列車の振動に身を任せてうつらうつらとするのだ。
*力行(りきこう)という言葉は辞書には、努力して励むこと、等としか載っていない。機関車の運転モードには力行というのがあって登り勾配でパワーを出す時に使う。
*デレッキとは、鉄製の火掻き棒で、石炭がストーブの中で燃焼中に互いに粘着してしまうのを崩して均等に燃えるようにしたり、灰を下に落としたりするのに使う。語源は不明。
入れ揚げるというのは、誰か他人に惜しみなく金を使う、という意味だから、買い物の一項目に入れても良いと思う。じゃ何を買うんだと聞かれると、これが何も買わない。何も見返りを求めないなんて、そんな事があるものか、何か下心があるに違いない、と言い張るあなたは素直でない。
話を続ける前に、ここで少し寄り道したい。近頃の世の中では、入れ揚げると貢ぐ、が混同されてきているようだ。貢ぐという言葉は、権力者に対して力の弱い物が金品を贈って何某(なにがし)かの庇護を得る、という場合に使われていた筈だったのが、このところ違う意味で使われているようだ。
どうも女に金品を贈る若い男を貢君(みつぐくん)等と呼び慣らわすようになってからの様に見える。僅かの見返りを期待している気の弱い若い男を、貢君と呼び捨てることで、女は金品を呉れる相手の意向を一方的に無視してもよいことになって、これを貢ぐという言葉で指し示しているらしい。
世の中が女性化、母系社会化して平和になって来た(日本の若い男による殺人件数が低下し続けているというのは、近頃読んだ新聞記事だった)のは良い傾向であるにしても、男は女に貢ぐのが当然であるだの、娘の携帯電話料金を父親が払うべきだの、飲み屋のホステスにオヤジは話ができるだけで有難いと思わなくちゃならないだの、あるいは娘の結婚式に父親は泣くものだ、等と若い女だから何か只で貰うのを当然だとする傾向には断固反対する(最後の話はちょっと違うか)。貢君という言葉を使うことで、自動的に自分が貢いでくれる相手より上位にある、とするのも狡猾だ。
ということで、入れ揚げるの話に戻るのだが、最近、ある芸能人の芸に惚れてファンクラブに入会した。相前後して別の芸能人の芸にも惚れて、これまた後援会に入会した。ただ残念なことに、惜しみなく金を使う、とまでは行かない糸目だらけの身分なので、入れ揚げている、と見得を切ることができない。
また、芸に惚れた一方は男だが、もう一方は若い女なので、何の見返りも求めない無償の行為が、芸人に入れ揚げるという事だと、偉そうに言っていたが本当かと、問い詰められると、何事も絶対というものはない、というのが私の信念だが、この場合は例外だと言えなくもない筈のような気がしないでもない、というのが答えだ。
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