噂の真相

モルトウィスキーを全て飲む

モルトウィスキーと言えば、バッティングする前の樽入りの酒のことだから、別にスコッチに限るわけじゃない。日本のウィスキーだって炭酸で割ってハイボールにすると、あら不思議、柑橘類の香りがして楽しいし、メルシャン軽井沢の出は、山育ちなのにどういうわけか潮の香りがして、他の日本産のウィスキーの、あのオイリーな感じからはかけ離れている。だがその歴史に敬意を表して、ここではスコッチだけに話を限定したい。またブレンディッドウィスキーは、配合割合を変えることで原理的には無限の種類が生み出されることになるから、どれだけ時間を使っても全てを味わい尽くすことができない。だから飲むのはシングルモルトだけにする。

モルトウィスキーの蘊蓄は語り尽くされたと見るべきだろうから、ひたすら飲むことにする。ひたすら飲む、シングルモルトを呑み尽くす、と言ってもめったやたらと手当たり次第というのは成人男子には相応しくなかろう。以前にTopNoteのバーテンだった前田さんにウィスキーの飲み方を教わったことがある。モルトならグレンリベット、ブレンディドならジョニ黒を基にするのだと。ウィスキーの味わいは個人により違う感じを持つだろうし、どのウィスキーが優れている、ということもできない。だからモルトで言えば、グレンリベットを起点にして、このウィスキーは私の感覚の宇宙空間の中でこの方向にこれだけの距離をもって存在するのだと。そんな風にウィスキーの位置づけをするのだと、バーテンの前田さんは教えてくれたのだった。ウィスキーと一緒に話が腑に落ちた。

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日本酒を百種類試す

酒とは言うまでもなく日本酒のことであり、わざわざ日本酒と呼ばねば話の通じない場合があるのが嘆かわしい。味の範囲がワインに比較して狭い事は明らかであるが、その分、繊細であると言える。数年前、夏のオーストラリアに十日程滞在したことがある。暑いので当然のように毎日ビールを飲む訳だが、かの地、各街毎に違うビールがあるんじゃないかと思われる程にビールの種類が多い。種類は多いがことごとく不味い。飲めないことはない、というのが殆どだった。

だが忘れられないのが、これも一興と日本のビールを飲んだ時のことだった。サッポロビールでスチール缶、缶の中ほどの僅かにくびれた、銀色のやつだ。飲んで驚いた。日本で飲んでいる時には気にも留めていなかったのに、何という繊細な味だろうか。オーストラリア人には気の毒だが、彼らには理解できまいとその時思った。オーストラリアのビールとはかけ離れているのだ。日本酒も、オーストラリア人から見れば、不必要な位に繊細であろう。酒として、ある場合には必要な、粗暴とも言い得る力強さに欠けると言えるかも知れない。

だが、蔵付き酵母の醸し出す飲み口の香り、北国の酒の不安になる程の澄んで明らかな味わい、西国の酒の酸と旨味が与えるまったり感、舌の記憶に残る仕込の水によるキレの違い、飲み進んで解る味の軽さと重さのバランス、そして造り手の若さから来る勢いと老練さから来るひねりの効かし、が日本の酒にある。百種類に限らず飲みたい。飲み尽くしたい。

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恵比寿のベトナムレストランへ

この間京都に新幹線で行く時、お昼前だったので、かねてから気になっていた、東京駅丸の内側西口にあるオテルドミクニの売店で、あれこれ買い込んだ。生春巻きを二本、地鶏の唐揚げ、クロックムッシュー、合わせて九百円位だったか、手拭きやフォーク、紙ナプキンも入れてくれた。車内で広げたのだが、質、量とも申し分ないと言える。特に量については、多すぎたくらいなので、もっと少しでよかったと思う程だ。

さて、味の方だが、生春巻きについては香料がよく効いて、野菜と蝦のバランスが特によかった。地鶏も硬いぐらいで私の好みだったし、クロックムッシューのボリュームは、これだけの昼食でもよいくらいだった。というわけで、十分に堪能したんだが、生春巻きの匂いが車内に充満したような気がして、少し肩身の狭い思いをしてしまった。もっともこんな風に外で買い込んでから新幹線に乗らなくとも、駅構内で買う駅弁もまた、好きなものの一つだ。必ず列車が動き出してから、食べ始めるというのも、旅情をそそられる気がしないでもない。

これに比べると、飛行機で出される食事というのは、どうしたらこんなにまずくなるのか、と言うのが多いように思われる。温めてくれるのは結構なんだが、メインの魚や肉の皿を覆うアルミホイルにくっついたソースが、大低、おかしな具合に焼け焦げていて、その匂いが主役の魚や肉に移っているし、付け合わせのパスタは、いつも乾いてしまっている。パンの方を頼むと大抵はロールパンなんだが、フニャフニャしているし、ご飯の方を頼むと、こっちは他の食材の匂いが移っているのか、冷蔵庫の匂いが移っているのか、まずいことこの上ない。何でも食べることを信条としている私だが、改善の余地があるのではないか、と思われる。いっそコンビニのお弁当を新幹線のように持ち込んだ方が、よっぽどよかろう。

飛行機なだけに話がとんでしまったが、生春巻きの話だった。この食べ物、やはり食材と香料に日本離れしたものを使わないとおいしくないように思われる。この間、テレビで恵比寿のベトナムレストランが紹介されていた。繁盛しているようなので、それなりに良い店なのだと思われる。タイ料理は、このところのタイ出張等で馴れてしまったので、今度はベトナムに眼を、いや舌を向けた訳だ。

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長崎丸山の花月へ行く

映画長崎ぶらぶら節で、主人公で長崎円山町の芸者、愛吉を演じたのが吉永小百合、その妹分は宮沢りえだったが、主人公の三味線を弾く姿がさすが女優だけあって様になっていた。艶冶、等という言葉だけは残って、それが表す実体がなくなりつつある世の中だから、映像の世界が余計に美しい。

ところでサユリストなる人種が嘗ていた。今もひっそりと棲息していると思われるが、私より数年上の世代にかなりの確率で交じっていて、それぞれの若い時分には皆ファンクラブの会員証を隠し持っていたのだった。ただし私の学生の頃の年代は、清純な、という言葉も既に古典的な様相を示しつつある時代で、彼女が産婦人科の門をくぐったのを見た友達がいるという男と、そんなことは有り得ないと言い張る輩が、動物の解剖実習で実習の後に取り分けておいた馬肉を、下宿のフライパンで焼きかつ喰らいながら、言い争いをする、という呈だったから、サユリスト達も馬肉を食らっては一転、今朝起きたら知らない姉ちゃんの部屋にいてあわてて帰ろうとしたけど昼まで離して呉れなかったよエッヘッヘ、とか、お互い裸でいる時にどうだグロテスクだろうと言ったらううん逞しいわと言われてねウッフッフ、なんて下品な話に落ちて、サユリストの清純さへの憧れも上半身の隅っこに、ちょっぴりと残っているだけだったのだ。

さて、愛吉姉さんは、映画の画面に再現された程には美しくなかったと伝えられるが、気っ風の良さと三味線の腕は円山一だったという。そんな時代の雰囲気を長崎は円山で、行くなら花月(花月)で味わってみたいものだ。なにせ、この間は花月の前を指をくわえて通り過ぎただけだったからな。

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福田屋でランチ

セレブリティ略してセレブなんて言葉が女性誌を中心に巷に流行り始めたのは多分、バブルの季節だったろう。celebrityは名士と訳されるが、女性誌の文脈では金持ちで一流企業役員もしくは医者や弁護士の、本人ではなく、妻子を指しているように思われる。以前には皇族だとか旧家の子女が一般人の憧れだったようだが、彼等の生活が意外につましいことが分かって、雑誌編集者も舵を切ったようだ。で、セレブに憧れる一般人に、セレブ御用達は何か、をよく説明しているのが、暮らしの手帖、では勿論なくて、婦人画報や家庭画報だと思われる。

私もセレブに憧れる一般人なので、これらの雑誌をよく読む。一般人らしく図書館でなんだが。図書館には他の雑誌もあるから暮らしの手帖も勿論読む。暮らしの手帖は元々日本の土着性を排して、所謂米国の文化生活を礼讃することに存在理由を持つ雑誌だから、一見反権力的なポーズを取りつつ、高度成長期の日本の政策をサポートしてきたと言える。だから大量消費の見直しや環境問題の重視が始まったバブル以降、この流れに乗ろうとしてもどこか誌面がちぐはぐになってしまうのだ。なおかつ反権力的なポーズはそのままなものだから、二重に偽善的で、私の好むところではない。

で、婦人・家庭画報の話に戻るんだが、これらの雑誌、和風と西洋風の両方からセレブ生活について攻めるわけだが、このところ編集者の方針か時代の流れか、和風に勢いがあるようだ。ここで福田屋の話に戻れば、この店、立地からみても値段からみてもセレブ御用達と言えよう。しかも行ったことのある人の話によると美味しいらしい。しかも普段は敷居を跨ぐこともできない一般人のために、御慈悲で土曜日だけランチを出して頂けるらしい。有難いことだ。ところで、この間亡くなった山口瞳の随筆を読んでいたら、福田屋は色んな用事でよく使った料亭だここで銀婚式を開いた時はしまいに仲居も加わって楽しい大宴会になった、等という記述に出会って、せっかくの疑似(えせ)セレブ気分に水を差された。

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新橋新喜楽へ行く

昨年のことだったか、新しい味わいを発見したと、一人で騒いだことがある。知合いを相手に酒を飲んでいたのだが、脇にいた連れの者に紅茶が供された。割合に狭い部屋にいたので、その強い香りが空間に満ちた。何と言う名の紅茶だったか忘れてしまったのだが、お茶の香りを僅かに大きく息を吸って、杯の酒を口に運べば、酒のじんわりとした味わいと浸みだす香りが口の中一杯に広がる、その時、酒の香りと茶の香りが吐く息吸う息と混じり合って、今まで知らなかった知覚が訪れた。ある種の香りは、酒のアテになる、あるいは旨い酒は茶の香りを従えてもっと旨くなるというということが分かった。

とにかくも香りが酒のつまになる、という新しい発見に興奮した私は、紅茶の香りで酒を飲み続けた。飲み続けるうちに、朦朧とした頭に何かがかすめ通った。そこで記憶を探れば、あの脂っこい白粉(おしろい)の匂いもまた、酒をひきたてるだろうことに思い至ったのだ。そうするとたちまちに妄想は膨らんで、四畳半の差向い、三味線膝に小唄端唄のひとくさり、もひとついかがの声に杯とれば、まぢかの頬の脂粉の匂い、酒の迷いに気の迷い、と想像はあくまで自由だ。

ところで四畳半の差し向かいに到達する前に、料亭に芸者を揚げるのは茶飯事の旦那にならねばいけない。ここで金の話を出すのは横に置いておくとして、その前に料亭を使うようになるためには、まず一見さんでは話にならないから、料亭が売り上げ確保に営業している一般向けの店に馴染んで、信用を得なけりゃいけない。取り敢えずランチからか。

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玉ひでにて親子丼を食す

人形町と云えば水天宮で、安産の神様だそうで、もうとっくに私には関係ないのだが、お参りしてみると、水天宮を邸内に祀っていたという有田の殿様の、そのまた子孫が奉納した鋳物の水盤などが置いてあったりして興味は尽きない。尤も昔に芳町(よしちょう)と呼ばれていた頃の艶やかさは僅かに芸者新道と呼ばれている道筋に偲ばれるだけで、今はさっぱりと抜けてしまっている。芸伎ではなくオバサンのための甘酒横町を辿れば、横町と云う割には道幅が広くて興醒めなのだが、それでも笹新のような安くて旨い飲み屋があるし、三味線屋も軒を並べて、街としては嫌いじゃない。

ご存知玉ひでや芳味亭も、いつも通り過ぎるばかりじゃなくて一度は入ってみたいと思っている。ところで丼物のことなんだが、近頃はカツ丼や天丼の類を、親の敵(かたき)とばかりにがつがつと食えなくなったのが少し寂しい。

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銀座の寿司屋十軒

よっぽど小心者に生まれついたか、進んで寿司屋に入ることができない。寿司屋どころか、一見高そうに見えるレストランに入るのにも抵抗がある。志賀直也の小僧の神様じゃないが、どうしても自分は若輩ものだ、という気分から抜けられないのだ。それでグルメ番組の若い女が、高そうな寿司屋のカウンターで、キャーおいしい、等ときょう声を上げるとムッと来る。

飲み屋、酒場、バー、クラブ等、酒を飲む場ならこんな気持ちにはならないから、寿司屋の場合は全く心理的なものと言える。とやかく御託を並べても、単に金を使うのに慣れていないだけだ、という意見もあるだろうから、取り敢えず十軒も廻れば、目鼻がつくだろう。どうせ行くなら思いきり見栄を張って、ここは寿司屋といっても銀座の寿司屋としたい。

心積もりとして、手順を追ってみよう。まず寿司屋を見つけるところから。店をきょろきょろと探すようではみっともない。また眦決して一直線に向かうというのは、如何がなものかと。天麸羅屋、とんかつ屋ならば、こちとら腹ぺこなんでい、さっさと食わせろい、と言うのもアリかと。しかし寿司は小腹の空いた時につまむものだから、それでは不味い。あくまでも歩いている途中に、おや、こんなところに寿司屋が、という気分でふらりと暖簾をくぐるのよしとしたい。がらりと戸を開けるとカウンターの中の板前がいらっしゃい、と大きな声で迎えてくれるから、ここは鷹揚に構えたい。相手は客商売だから、態度で一瞬に財布も含めてこちらの中身を見切ってしまうだろう。さてこちらが一見さんなら、いきなり板前の目の前に座るのは避けたい。入り口近くの席あたりで、ここで好いかい、と聞くのがよかろう。さて座ってからなんだが。お飲み物は何にしましょう、と聞いてくるな。昼夜構わずお銚子一本といきたいところだが、ここは考えどころだ。第一に酒を飲みながら寿司が食えるかどうかだ。握り飯なら酒に合う。まだ温かいご握り飯なら燗酒、冷や酒なら温かくない握り飯の方が良く合う。だが寿司はネタと飯の調和を楽しむものだから、これに酒が加わると味が三つ巴になってしまって、如何にも落ち着かない。ということで初めての店ならお茶を頼むのがよかろう。一度入った店なら酒を飲みたくなる。だがこれはこれで悩ましい。お飲み物は何にしましょう、と聞いてきたら、お銚子一本頼むよ、となる。酒を飲むとなると、板さん、適当にみつくろってよ、へい、分かりやした。あるいは、はい、かしこまりました、となるのだが、調子にのって銚子を何本も頼むのは謹みたい。だらだらと飲むのは居汚いし、終いには板前が、ここは飲み屋じゃねえぞ、と怒りだす可能性もあるからだ。かと言って、銚子一本をあっと言う間に飲んでしまって、もう一本飲みたいのを我慢して寿司を食う、というのも業腹(ごうはら)だ。

で、ここんところは、女房と一緒に出かけて、こっちが卵焼きなんぞで飲んでいる間、女房にお好みで食わせるのが良かろう。おっ、そのトロは旨そうだな一個よこせ、てな具合だ。諸般の事情で、どうしても仕様のない場合、これが同伴出勤の芸伎に代わってもよろしいと思われる。

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ぼうず軍鶏に行く

池波正太郎の小説は海外で読むのに相応しいと思う。少なくともタイに一ヶ月、昨年で三回目の私はそう思った。海外のホテルのベッドで寝転がっていると、することがない。テレビを見ても今ひとつ没入できない、画面で話されている英語がよく分らないということもあるんだが。そうそう酒ばかり飲んでいるわけにも行かず、近くを散歩するのにも飽きた。

じゃ、折角海外にいるのだから少し遠出しても珍奇な場所へと出てはどうかと言われるに違いない。この年になってやっと見つけた海外旅行の心得、というのがあって、日本でしないことは海外でもするな、というものだ。別にこれを他人に強制するつもりはないが、私のこれまでの乏しい経験から言って、海外だから普段経験できないことをする、というのは余り良好な結果をもたらさないように思われる。例を挙げれば、日本では行ったこともないのに、海外だからと言ってろくに話も通じないクラブに出入りする、日本では一度も買ったことがないのに、海外では高級そうな宝飾店に入って勧められるままにお土産のアクセサリーを買ったりする、いや、したことだ。

というわけで大抵の場合、普段している事しかやらないので、いつも通り、暇な時間ができる。こんな時読んだ、池波正太郎の小説は、心に残る。そんなわけで、両国橋を渡って坊主軍鶏(ぼうずしゃも)で鍋をつつきながら酒を飲みたい。

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たいめい軒のビフカツを食す

よっぽの田舎に生まれたせいか、もともと牛肉を食べない土地柄に育ったせいか。東京に出るまでは、牛を食べたことがなかった。だからビフテキもビフカツもビーフシチューもローストビーフもしゃぶしゃぶもビーフカレーもコンビーフも知らなかった。寒い地方だったのでウナギは採れず、当然のことながら地元で採れないものは食べないというのが普通だったので、これも食べたことがなかった。だから、うな重もうな丼もう巻も知らなかった。ハムとソーセージの原料は魚と思っていたし、豚の腿肉の塩漬けを食べていてもこれがベーコンは知らなかった。料理屋も寿司屋も入った事がなかったので、板前とコックの区別も知らなかった。

だがどれも最初に食べた時の印象が残っていないところをみると、私にとってはどうでもよい事柄であるように思われる。確かにその味は知っていても、ビフテキにもうなぎにも食べたいという気持ちがかきたてられないし、料理屋も寿司屋も、実際のところなくて困るという程ではない。だがそうは言っても、あいつは金がないから料理屋にも行けない、と言われるのも口惜しいので、まずは洋食屋、たいめい軒のビフカツからいくとするか。

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