十年も前、そのまた十年も前に止めていた煙草(たばこ)を吸いたくなった。紙巻は手軽だけれど、手軽ゆえに本数が多くなる。本数が多くなると運動する時に息が切れるので、どうしようかと考えた。昔々子供だった頃、祖父が薪割なんぞの合間に、ゆったりと煙管(きせる)を使っていたのを思い出す。祖父は四十台から隠居生活をしていた。つまり息子が六人も居て、そのうちの一人が私の父なんだが、上の五人は小学校を出て直ぐに働きに出したので、自分は働く必要がなくなったのだ。この辺りは、上の学校にやらなかったのは、当時とはいえ親として酷い、というのが私の母の言なのだが。ともかくも、あまり忙しくなさそうな祖父は、あたりの輪切りの丸太に腰をかけて、煙管で一服しており、私はそれを眺めていたわけだ。
話は元に戻るが、この祖父の事も思い出して、煙草を吸いたくなった時には煙管を使うことにした。ここで、煙管で煙草を吸う遣り方を説明せねばならないだろう。まず煙管を煙管入れから取り出し、煙草入れから刻みをひとつまみ取って、雁首に固くなく柔らかくなく詰め込む。それから火を点けて、ものの一分で吸い終わる。かように手間がかかるので、吸いたいという気持ちを満足させ、吸い過ぎになることもなく、吸殻で道を汚すこともない。江戸時代の人々は優雅だ。
しかし紙巻きを発明した西洋人は、ネイティブアメリカンの高雅な習慣を商売の種に落としめた挙げ句、この文化そのもの絶滅させようとしている。そのどうしようもない無神経さの被害は、煙管にも実は及んでいて、肝心の刻み煙草がただ一種類、小粋、しかないのだ。私が学生の頃には、桔梗なんて名前のついた刻みが残っていた。勿論、煙草の葉を幅一ミリメータ以下に刻む技術など外国にある訳もないのだ。
こんな風にして私は葉巻に向かった。葉巻は形といい、味といい、全く様々な種類がある。名品の多いとされるキューバ産の葉巻が、アメリカでは禁輸入品になっていて、公式にはアメリカ人が吸えない、というのも心地よい。だがうまい葉巻になると一本千円以上になるところがつらい処だ。
top先日、浅草は鷲(おおとり)神社に出かけたら樋口一葉の手紙が、その墨跡のままに石碑になっているのを見つけた。ちなみに鷲神社は暮れに福熊手を売る酉の市が立つので有名。近くに一葉が住んだことがあるというので、都立の一葉記念館もある。
さて一葉の筆跡なんだが、書については全く疎い私が見ても、実に流麗、達筆であることが分かる。あの年でこれだけの手紙が書けるというのは天才である。これだけの字が書ける、また読めるというのは、明治の人々、実に尊敬にあたいせざることなしと。
ところが一葉の手紙、これが流麗に過ぎて全く読めない。石碑の端に解説文があるのだが、それと一字ずつ照らし合わせて、ようよう字の区別が付く程で、日本人として活字しか読めない私というのは、実に情けない。御嶽菅笠という江戸時代の旅行案内の本を持っているのだが、これが何とか読めたのは言わば万人向けの旅行パンフレットであったからで、文筆家の書き物とは別であることを痛感した。
手元に崩し字読み方の小冊子があるのだが、それによると、日本の言葉の記述が万葉仮名にあることがよく判る。つまり漢字の発音を利用して、和語を表すために、仮に名をつかっていたのが万葉仮名で、そのうち漢字を一画ずつ運筆するのが面倒になって、草へと崩して行き、かつ発音に当てはめる漢字も限定されるようになった時、書き言葉として日本語が成立した、と。こうして考えると平安時代の女御(にょうご)のお蔭で今の日本語があると、言う事もできて、紀貫之なんぞは只のいいとこどりだ、と言われても仕方がない。
たんに平仮名とは言っても、ついこの間まで、例えば「か」の基の漢字は「加」なのだが、「可」を崩したものも「ka」を表す字として使われていたという融通無碍なところがあって、さらに、こんな風に漢字を崩した平仮名の中に、漢字の単語を、しかも崩し字にして交ぜ込めていたのだから、近年までの日本人の頭の柔らかさは相当なものだと思える。酒粕で汁を作ってご飯を食べながら、酒を飲むようなものだな。
ところで、崩し字が読めるようになりたい、というのは勉強じゃないのか、と言われるかも知れないが、これは遊びだ。江戸時代の絵草紙に、男女の絵の周りに「おまいさんxxxがxxxだよ。そうかい、じゃxxxはどうだ。あっxxxがxxxだよ。xxx、xxx」と云うようなのがあって、枕絵とも呼ばれるのだが、このxxxの部分を読みたいと、こう思っているわけだ。
ついでにこの類(たぐい)の話をすると、線香花火には、蒲団の枕元に水盤を置いて、同衾しながら楽しむ、という高度かつ淫靡な遊び方が、江戸時代にはあったらしい。
top恥ずかしがりの癖に、今から考えると結構出たがりだった子供の頃、学芸会の劇にたった一度だけ出たことがあって、劇中、山賊3の5は一言だけ喋っただけだった。舞台の上で我ながら劇になじんでいない自分を感じて、学芸会の後しばらく落ち込んでいたことを覚えている。配役を決める教師からも、演劇には余程向いていないと思われていたとみえ、学芸会の出演の話はそれっきりだった。
そんな訳で、ここ数十年の間演劇と名の付くものは数える程しか観たことがない。だが浅草が好きになって以来、木馬座の前を通ると座長大会とか誰それ記念公演の看板が懸かっていて、呼び込みに声を掛けられる度に断るのも申し訳ない。ところで、いかつい座長が白塗りして女に化けるとどうしてオバサンはキャーと叫ぶのか。宝塚の男役にもキャーと叫ぶし、オカマのショーにもキャーと叫ぶから、とにかくオバサンはキャーキャーと叫ぶものであるらしい。あんな風に騒いだらさぞかしスッキリするであろう。
top味噌汁の実についてなんだが、女性は実沢山の味噌汁、というキャッチフレーズを絶対的に正しいと考えている節がある。家庭夫人向けの料理雑誌、或いは女性週刊誌の料理欄に、しばしば、実沢山の味噌汁、というタイトルが散見されるのだが、私を含め女房持ちの旦那は、味噌汁の実は少しでよいと思っている。つまり、多くの旦那の、味噌汁の実は少なくしてくれという願いは、栄養が低い、という只一言で拒否されて実現されない。
女性は、実沢山の味噌汁、を正義と考えていて、これに異義を唱えることは、他の料理にも異義があると見做されることになるので、米国に諂う日本の如く、旦那は実沢山の味噌汁から始まる食事に唯々諾々として従うしかないのだ。だから永谷園の即席の汁物は、決してなくならない。ネギと麩ぐらいしか入っておらず、旦那が密かに、あるいは仕様がない時に利用するからである。家庭における料理と言うのは、基本的に子供を育てるためだから、栄養のない料理、というのを女性が本能的に好まないのは、仕方のないことかも知れない。
そう言えば、断食なんてのは、古来、女性がやったというのは聞いたことがない。かろうじて近頃、痩身療法の一つとして断食がもてはやされているようだが、もともと矛盾している。美味しいものを食べて太ってしまったので、痩せてからまた美味しいものを食べたい、という堂々回りだからである。晩年の横山大観は酒だけ飲んで、飯は食わなかったと云うが、食べない、というのも生活の選択肢の一つとしてあり得るのではないか。
top自動二輪免許を取って、おまけで限定解除にもなっているのに、バイクに乗る機会がない。もう七八年にもなろうか、団地に住んで子供も小さい頃、正月だったと思う。正月というものは大体にして暇を持て余す。去年の反省と新年の抱負については、あっという間に片がついてしまって、日頃頭の片隅にとっておいた想いがコロリンと転がり出てくる。
その時の正月もそうであって、団地の角の自転車屋兼バイク屋にSRX400の中古が出ていたのを思い出したのだった。ヘルメットは既に買ってあったから、家族を説き伏せるのは後回しにして、散歩がてらその自転車屋に向かったのだった。正月だったから寒かったと思うが、天気は覚えていない。ただ、バイクに跨ってスタンドを外した時の、内股にかかる重さだとか、シートを伝わって立ち上るエンジンからの熱気だとか、手首に僅かに戻るアクセルグリップの加減なんぞが俄に体に湧いてきて、思わず腹のあたりが暖かくなっていくような気がした。
自転車屋の店先に着いた時、だが、SRX400の姿はなく、もう売れてしまっていた。思い込みが肩透かしに遭ってしまうと、単なる思いつきに格下げされてしまって、買物は散歩に変じてしまった。こうして正月が過ぎてしまうと、また会社通いが始まって、バイクのことはまた頭の片隅に押し遣られてしまったのだった。
top車に対して持つ所有慾というのも、人に依り様々らしい。自分の肉体を遥かに超える機械的力を思うままに操りたい人の、スポーツカー。自己を大きく見せたい人のための大型車。道路のある限りどこへなりと、座ったまま行けるという、魔法の絨毯性も理由の一つであろう。これならセダン。さらには道路がなくたって行きたい処に行けるという幻想を振りまくことでRVが売られたが、これは明らかに日本では幻想であったから、流行は直ぐに終ったようだ。
他にも色々な理由があるようで、カワイイから選んだ、というのも聞いたことがある。この伝で行くと、オープンカーというのは、何を表しているのか。屋根のないことが既に、快適安全な殻に包まれている、という車の本質に矛盾している。パレードのための車、という性質もあるが、他人の視線に普通の人は耐えられないので、乗員はサングラスをかける事が多いようだ。しかし春、桜の木が両側に植えられている道が、あちこちにあろう。短い花の時期、桜のトンネルをオープンカーで走るのは、さぞ気持ちよかろう。
top馬と犬というのは存外に仲のいいものだと思った覚えがある。家の倉庫の道路側が馬小屋になっていて、犬も夜はこの倉庫の中を自由に走り回っていた。仔犬の時には平気で馬小屋に入っていくので、馬に踏み潰されやしないかと、こちらが心配した程だ。馬は犬には無関心なようだったが、嫌そうな素振りはしなかった。
馬は子供の私にも無関心で、鼻面(はなづら)を撫でても嬉しそうにすることはなかった。尤も馬は一家の働き手であった。博労を通じて売られてきた働き手は、人間に愛想は見せないが反抗するでもなく、重い馬車が坂道で牽けなくなって手綱で打たれた時も、ただひたすら境遇に堪えていたように見えた。夏の時期には背が汗びっしょりとなるまで仕事をしていた。冬の時期には口髭を凍らせて鼻から白い息を吐いて重い馬橇(ばそり)を牽いていたのを思い出す。
今の世ではもう力仕事をしている馬も、馬と一緒に汗水たらして働く人間もいないだろうと思われる。どこからか、若い時分に労働して、今はお払い箱になった馬を買ってきて、飼いたい。馬には軽い馬車をカラカラと牽かせて、街まで出かけたい。
top碌に泳げもしないのにヨットに乗るのは、身の程知らずだと家人が言うので、はいはい、こちら身の程知らずの無鉄砲ものでございと答えて、これも他人様(よそさま)頼みで恥ずかしいがヨットの中では一番小さいディンギーに乗せてもらったのが二十年も前の話で、此処でディンギーについて知っている人にくどくどとと書き連ねるのはおこがましいが、さりとて、知らない人に知ったか振りをするのも申し訳なし、ありのまま書くのがよろしかろと、
ディンギーとは何かと聞かれれば、一番小さいヨットでもあり、いつも水浸しの舟板とも言うべきで、その上帆がただ一枚、この帆と舵を我一人操(あやつ)って、風上に進むことこそ楽しく、帆にはらんだ風を逃すのが嫌さに目一杯舟を傾けて船底のセンターボードの波切る爽快さに、舟耐えられず大きく傾いて、我ともども海に投げ出され、沈したと岸辺の友嘲笑う(あざわらう)を聞くも構わず、転倒した舟の反対側に泳ぎ回り、海よりかいな伸ばして船べりをつかまえてはぐっとぶら下がれば、もとより小舟、ざばざばと帆を海面より引きはがしつつ立ち直れば、舟にようよう這いずり上がって又気を取り直し、もう一度(ひとたび)風上に向かえば風も塩梅よく、舳先の向き変えるタックもスムーズに行って、しばし風はらむ帆を眺めながら波しぶきに塩味を感じつつ沖におれば、気分もますますよくひとりよがりとはこのことかと思い至り、そうこうするうちに腹も空けば、岬の中華そばやも遠くに見えて、風も良し、追い風をうけて岸に向かうと一挙に波静かになって、肩の力も抜けてぼんやりと近付く岸を眺めておれば、やがて岸が間近に迫る。センターボードを上げるや船、砂浜に乗り上げて、後はビールを飲むばかり。
その後、クルーザーなどにも載せてもらったが、ディンギーが一番におもしろいように思う。大した費用もかからないので始めるとするか。
top燕尾服(えんびふく)にシルクハットなんて出立ち(いでたち)はチャップリンの映画くらいにしか出て来ないが、さらにその燕尾服にシルクハットが白くって、おまけに燕尾服の背中から大きな羽根が生えている、というのは宝塚の舞台の他に見る事はできまい。娘役も羽根を付けて両者が舞台を埋め尽くすからもうそれ以上に何かを付け加えることもできまい。
衣装の派手さから言えば歌舞伎の向うを張って一歩も引かない。だが歌舞伎が大人の男の繊細さと女の一途を現しているのに対して、宝塚は少女歌劇団だから如何に大柄の男役といえその血筋を引いて、少女の臆面(おくめん)のなさと無鉄砲を現している。だからムーランルージュのおっぱい丸出しの踊り子やサンバダンサーのお尻丸出しとは違う力が宝塚の舞台にあるのを感じて、男は何となく赤面し、同時に身の置き所のない恥ずかしさを覚える。
それは年端もいかない男の子が、若い娘は男を相手に科(しな)を見せたり大胆な行動に出たりすることを見知った時の、嫉妬と自分の無力さのいきなりの自覚とその間の矛盾に狼狽した時の恥ずかしさだ。有名なラインダンス、宝塚ではこれをロケットと言うらしいんだが、これも何とはなしに恥ずかしい。同じ理由と思われる。特に全員揃って黄色い掛け声を出す所はちょっとうつむいてしまう。
女性にはこの辺り、全く恥ずかしいという気持ちはないように思える。それどころか舞台に繰り広げられる物語の主人公に自分を投影してうっとりとしている。宝塚の便利な所は女性が男役もやっているところで、観客のおばさんは、男役に自分を投影することによってヒロインにもヒーローにも自由に成り切ることができるのだ。だからキャーキャーの度合は舞台の進行と共に益々高まる。というわけで、年とともに段々にオバサンの影響下に入りつつあるオジサンとしては宝塚の舞台を見て、オバサンと一緒にキャーキャー言わずとも楽しめるかも知れないと思っている。
top腰まで水に浸かるような川の徒渉は命懸けになってしまうが、膝下までの水を何の心配もなく、バシャバシャと歩き渡るのは心浮かれる。夏の沢登りの話だ。
こういう時は大抵天気が良くて、川の水も澄みわたっている。足元は白い玉砂利で足を踏み外す心配もないから、一歩一歩確かめる必要なんかは全くない。シュルシュルと流れる水は泥と一緒に足の熱も奪い去って、脛の下流に渦さえ作っている。足元に川が流れているというのは気持ちがいい。
しゃにむに日々を過ごした若さは疾っくに過ぎ去ったので、今度は危険な沢登りなどせずに、ゆったりと川を楽しみたい。その点でさすが京都は先を行っていて、鴨川の夏にかかる川床なぞは、足を濡らすような不粋なことはしない。川床のすき間に流れを覗いて、水音は耳を擽り(くすぐり)、杯を傾けつつ昼間の暑さが次第に和らぐのを楽しむ、というのはさぞかし好かろう。
自分の川床も作りたい。もちろん清流であることが必要で、渓流ほどは急でなく、歩いて渡れない程は大きくなく、跳び越えることのできる程小さくはなくて、農業用水のようにコンクリの張られていない小川がよい。
そんな川の真中に、寝そべることのできる床を作りたい。木洩れ日が寝そべる私の顔をちらちらと照らして、風は樹々を通過して吹き渡り、岸辺の憎い蚊は一匹もやってこない。腕を水面に垂らせば、僅かにしぶきが上がって、水の匂いを嗅ごうと持ち上げた手は、風にあたって、たちまち涼しくなる。日本のどこかに、きっとこんな川が残っているだろう。探しだして、その音を聞いてやらう。
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