今のところ最も好きな趣味だ。狛江は風呂屋が七軒もあるから(「狛江七湯」と呼ばれているぞ:ワシが最初に呼んだんだが)、狛江中心に、週に二三回は行っている。調布にも出かけている。
(後記)2000年も暮れ近くなってから、お気に入りだった日本橋湯が廃業してしまった。おまけに駒井町のもなくなってしまって、狛江は五湯になってしまったぞ。
(後々記)2004年現在では、栗の湯もなくなって、狛江は四湯になってしまった。私自身も変わって、風呂屋めぐりをしているうちに、ますます銭湯が好きになって、今では毎日、狛江は野川湯に通うようになってしまった。風呂屋の休みの月曜日に、仕方なく自宅の内風呂に入っているということになっている。(2004/7/7)
君も風呂屋めぐりをしたいか?狛江に住む初心者(風呂に入るのに初心者があるのか?)は野川湯がよかろう。名前の通り野川地区にある。露天風呂が二つあって日替わりで楽しめる。他にも設備がいろいろと盛りだくさんだ。特に最近、腹の出っ張りが気になる君にはジェット湯があるぞ。湯の勢いで君の腹はモモンガの腹のように拡がって余分な脂肪がとれる(可能性がある)。
露天風呂が好きなら、八小近くの風呂屋にも小さいが露天風呂があるから行ってみるとよかろう。また、ちょっと試してみたい、というなら、狛江湯がお勧めだ。電研の帰りしな、狛江駅から乗ることにして、その道筋の途中、駅から1分のところにあるぞ。
こんなふうに二つ三つ風呂屋をこなすと君もすぐ通、になるから、そしたら日本橋湯がおすすめだ。今どきめずらしい番台があって愛想のないおやじが、座っているぞ。入って400円出すと、この愛想のないおやじが、15円のおつりを自分はテレビをみながらほうってくれる。その代わりに湯はきれいで、誰も他に入っているやつはいないから、最高に気持ちがいいこと間違いなしだ。
気持ち良さから言えば、この日本橋湯、日曜日には朝湯をやっている。朝日のあたっている天井の明かりとりを見ながら、熱い湯舟につかるのはこたえられん。小原庄助さんの気分だな。
top都内にはまだまだ風呂屋が残っている。だが、「絶滅危惧種」であるので、なるべく利用して廃業の憂き目から微力ながら守らなければいけないと思っている。
山の湯は根津神社のすぐ近くにある。東大からいわゆるS字坂を降りたところだ。根津神社はつつじの名所として知られている。このところ、花の咲く時期が早まっているようなので、なるべく早く出かけたいものだ。例年つづじ祭が開かれて境内が賑やかになる。
山の湯の話しに戻るが、この風呂、都内随一の熱さではないか、と思われる。小さな浴槽が二つあって、一つは我慢できる熱さだが、もう一方は一体、誰が入れるのか、と思うぐらい熱い。何度かこの山の湯には入っているが、この熱い方の浴槽には客が入っているのを見たことがないぐらいだ。だから熱いのが好き、と思う人におすすめしたい。
ところで、山の湯のならびには、金太郎飴本舗があって、金太郎飴を製造販売している。金太郎飴の他にもなつかしい飴を量り売りしてくれるので、おみやげに買い求めたい。
(2002/2)
月島は良いところだった。大江戸線が開通して暫くの間は、勝どき駅の北、直ぐのところに月島浴場があったのだが、いかにも再開発の餌食になりそうな風情。あっというまに取り壊されてしまった。
それからまた暫く経って、週に一度程、勝どきに通うようになった今では、月島が段々にビル街になっていくのに気落ちして、月島の風呂屋に入る気も失せていたのだ。だが、所詮、他所者、他人が地上げ屋に土地と雰囲気を売り渡そうが、ビルを建てようが、どうこう言う筋合いではない。気を取り直して、月島から次の打ち合わせに目黒に行く時に、偶々、時間が余ったのを幸い、清澄通りと晴見通りの交差点に一番近い、勝どき湯に入ってみることとした。
交差点から清澄通りを西への道筋、新しいだだっ広い歩道と直角に、所々で、昔ながらの木造家屋が玄関に鉢を置いている、路地の奥を見通すことができる。真新しい小さなスーパーの前で、真新しさに似合わない親爺が野菜を売り台に並べているのを横目でみて、五分程も進めば、掘り割りを渡る太鼓橋にかかる前に右手に折れると、勝どき湯が現れる。
これも土地を売ってビルを建てた口で、銭湯は地下にある。左手にコインランドリーがあって、右手が風呂だ。まだ新しいので、清潔そうではあるが、味も素っ気もない。サウナと水風呂と温浴層が並んでいて手前にはシャワーが備えられている。懐かしいペンキ絵の代わりに、丸窓を模した茶色の額の中に蓮の花を描いた装飾物が奥の壁に付けられている。
可もなく不可もない、風呂屋だが、ビルの建つ改装前には、勝どき湯の看板の奥に、帝国湯と書かれた古い文字が入り口の上のガラス窓に残されていたらしい。(2004/7/9)
top祖師ヶ谷は若い頃に住んでいたので、なんとはなく落ち着く街だ。駅を出て北に一丁程も歩けば、左方に小さな看板が見える。銭湯だが、健康ランド化していて、年中無休の筈だ。そう広くはない洗い場だが、各種の風呂が細々と取り揃えられている。まずは普通の透明の湯、超音波の泡で白濁している電気湯、東京の温泉の特徴である茶色の湯、その電気版、その高温風呂、それに低温ミストサウナ、低温サウナ、それに別料金のサウナに水風呂などだ。
中でも最も私が気に入っているのが、長さ十米ばかりのプールが、洗い場をガラス戸一つ隔てて、三階までの吹き抜けのガラスの天井の下にあることだ。ここをすっぽんぽんで泳ぐのは、狭くて短いプールであることを感じさせない程に快適だ。プールの横端には肩を打たせるための水が落ちていて、泳ぐ、肩をほぐす、泳ぐ、頭をマッサージ、泳ぐ、の繰り返しは実に具合がよろしい。プールサイドには人間洗濯機を連想させるジェットバスと水風呂も備えられていて、プールに飽きたら試すとよい。
ところで、このプールを使うには、サウナ料金を払わなければいけない。ただし、体を洗うタオルと湯上がり用のバスタオルが付いているし、洗い場にはシャンプーと液体ソープも備えられているので、サウナ料金を払うつもりなら、全くの手ぶらでよい。洗い場の出口付近に上がり湯があって、小さな柄杓で体にかける用意のあるのがなんとはなしに、嬉しい。風呂屋を出たら、近くの”たかはし”で焼き鳥でビールを飲るのがよろしい。
このコースを試すと、イスラムにならなくてよかったと思う。(2004/9/1)
topイヤなものを見た。いや、嫌なというのは相手に失礼か。こういう事だ。
いつもの通りの野川湯で、時間はいつもより早めだったか。よくあったまって気分よく風呂からあがり体重計にのっかっては、お、少し太っちゃったな、正月で酒のみすぎかな。なんて鼻歌をうたいながらロッカーを開けてパンツを穿いたところだった。そういえばロッカーの前が濡れていたな。モップでふいたっけ。そして、何の気なしにすこし離れたところで服を着ているはずの入浴客をみたら、そいつ、ブラをつけているところだった。
長髪で痩せた背中のそいつは、手慣れたようすで背中にうでをまわし、白いひものさきのファスナーを止めた。動揺した。脱衣場には、こっちとそいつしか居なかったので、一瞬、女風呂に入っていたのかと思い、ガラス戸の曇った先を見たら普段とおりの男の背中が見えた。女風呂じゃない。今あがったばかりだし。近頃、ブラをつけているサラリーマンがいる、という話を聞いたことを思い出して、そうか、こいつ、そういう趣味なのか、初めて見た。
なんてテレビを見ているふりをしてそいつをもう一度みたら、薄い女物のパンツを、女物だからショーツか、穿いていた。ピンク色で赤い模様が入っている。女じゃないよな、ここ男風呂だし。目の片隅でそいつを見ていたら。今度は水色のシュミーズを頭からかぶって着た。シュミーズじゃないな、パンツの上までの丈だから、エー、なんていったっけ、そうキャミソールだ。なんでだ〜。こいつオカマなんだろうか。でも動作が女っぽくないぞ。
それからそいつ、脱衣場の後ろに置いてある椅子のところに行った。こっちもテレビに顔を向けながら、そして動揺を隠してシャツを着てズボンを穿きながら、鏡に映ったそいつを目で追っかけていたら、そいつ、黒のパンストを穿いた。立ち上がってロッカーのところに戻ってきて、こいつ今度はスカートでも穿くのか、と思ったら、茶色の普通のジャージを穿いて、薄手のセーターを着た。そいつは長髪だけれどもネーちゃんじゃない。ネーちゃん風にするんでもない。見た目はごく普通の若い男になった。
なんでだ〜。なんで公衆の面前で女物の下着を脱いだり着たりするんだ〜。趣味〜?商売〜?何で下着だけ女物で上に着ているのが女物じゃないんだ〜。なんで普通の男にみえるんだ〜。
理解不能だ。けれど最初、薄い尻の透けて見えるパンツを見て、思わず色気を感じてしまったこっちは、いつか悪夢を見てうなされそうだぞ。(2006/1/10)
top風呂屋では皆、裸だから、他所(よそ)さんの体を観察できる。近頃は腕に入墨を入れているワカモンをよく見る。イレズミというとちょっと重たい感じの言葉なんだが、タトゥーなんて呼び方に変えたもんだから、軽いノリで入れちゃった、というのが多いようだ。この手はトライバルと呼ばれているらしい。しかし、いくらレーザーで焼こうが、後でこれを消すのは至難の業と思われるので、あまりノリでやんない方がいいんじゃない、それに黒一色だとあんまりきれいじゃないよ、島帰りみたいだし、と言ってあげたくなる。もう遅いんだが。
タトゥーなんかじゃなくて、伝統的な刺青を背負った人は割合によく見かけるが、職業的には建設業関係が多いようだ。建設関係は厳しいらしくて、関西方面から来たらしいグループなんかは、馴染みの風呂屋で、年に何度か見かける。例の、飛び込みで住宅地を廻って歩いて、「ご近所で工事を始めますので、ご挨拶に伺いました」「あら、ご丁寧に」「どうぞ、よろしく。ところで、お宅の屋根、ちょっと傷んでいるようですね。見て差し上げましょうか」「いいわよ別に」「いえいえ、無料(ただ)ですよ」「あらそう、無料ならお願いしようかしら」なんて具合で、直す必要もないところを大掛かりに修繕する、という商売だ。頭(カシラ)がいて数人が一緒なんだが、皆、刺青を背負っている。風呂の時も序列が決まっていて、皆で頭を立てている。もっとも、その頭が脱衣場のロッカーの鍵をなくしたとかで、探しまわっていたことがあったが、若頭が舌打ちして「オヤジ惚けやがって」なんて言っているのを確かに聞いた。
ところで、背中いっぱいの刺青ともなると一度では彫り切れないので、二三週間の間をおきながら続けることとなる。だから風呂屋に毎日通っていると、背中の彫り物が最初は線画から始まって、少しずつでき上がっていく様子を見る事もできる。割と若い客だったけれど、今年の始めあたりに完成した。余程、誉めて上げようと思ったんだが、止めにした。
島帰りの話なんだが、解説すれば江戸時代に罪人が腕に入墨をされて、島流し、代表的なのは佐渡島の金鉱山で働かされ、年季が明けて、戻ってくることだ。以前の時代劇には、評判の働き者の番頭が、悪役に袖を引き上げられて、店の女中(あるいは娘、番頭に惚れている)に番頭が島帰りであることが知られてしまう、ジャーン、果たして、という場面がよくあったのだが、入墨の人間についての描写は差別だ、ということになったらしくて、こういう場面は見ることができなくなった。
top先日、久しぶりに京都に日帰りでない出張をした。夕方、京都に着いて、例の石畳の小路にある宿屋へと向かったのだった。最寄りのバス停でバスを降りて、宿に向かおうとしたが、胸騒ぎがしたのでその場所に向かった。もちろん何度も入った銭湯のことだ。その路地の奥だな、と思って覗いてみたら、やはりそこは空き地になっていた。掘り返された土が黒々とまだ新しく、ほんの一週間前程度に取り壊されたらしいのが分かった。風呂屋は絶滅危惧種だから、いつ、こういう事態がくるかも知れない、と思っていたが、やはり残念な予想が当たってしまった。
だが、それで諦めて、今夜は宿の風呂に入るか、といえば、決してそうとはならない。宿のおかみに聞いたら、くだんの銭湯が取り壊されたのはつい先頃なんだが、近くに別の銭湯があるというではないか。良かった。で、地図を書いてもらって、その銭湯へと向かった。八坂神社から四条通りをちょいと歩いて、一力茶屋を左に曲がり、お茶屋の左右にあるのをきょろきょろと眺めながら、甲部練舞場に出る。ははー、舞子さんが出て来はしないかと思いつつ右に曲がり、大和大路通りを横切ると、街の様子が急に変わって、いかにも川筋のちょっと下卑た感じの、吸い付けられるような焼肉屋や、串焼き屋、赤提灯が現れる。なつかしのホッピーの桃太郎旗もあってよろし。ジンギスカンの店、というのもあって、暖簾の向こうにカウンターに座って肉を焼いている客が見える。気持ちが動いたが、今日の晩飯は宿屋のおかみに勧められていた店に行こうと、決めていたので、後日にまわすこととした。
目当ての風呂屋は、このジンギスカンの店の横の路地にあった。男湯と書かれたガラス戸を開ければ、型通りの番台にオヤジが座っていて、石けんとシャンプーを買い求め、タオルを聞けば貸しタオルがあるというのでそれも借りた。脱衣場には、以前の風呂屋にあった籐の篭があって、馴染みになればタオル一枚でやって来て、さっと脱ぎ捨てた服を放り込んで、湯船に入れるのだと思われる。緑のバスクリンを溶いた薬湯と、肩をほぐすジェットのついた湯船と、電気風呂があって、こぶりな京の風呂屋だった。洗い場に座れば、目の前の鏡の下の広告に、祇園の文字が見えて、確かに京の風呂だった。
さて、じっくりと暖まった身体をさましながら、帰りも赤い丸い提灯の軒々にかかったお茶屋街の石畳の道をふらふらと歩いた。今日は日曜日だったせいか、数人の観光客とすれ違うだけであった。道の角を曲がるとそこは東大路通りで、バスやタクシーやバイクが雪崩をうつように走っていた。決めておいた飲み屋にはすぐにたどり着いた。飲み屋では、ビールを小さなグラスに注いでは、続け様に飲んでから、この店の名物らしき出し巻き玉子をつまみに、玉の光を飲んだ。そういえば、この店に来たのは五六年振りで、汚い店だったのだが、建て直した、とのことで、黒かった天井も小上がりも一新されていたのだった。(2008/3/5)
top雨の日も風の日も通っている、なじみの銭湯が工事に入った。耐震工事だという。仕方がない。仕方がないが、家の狭い内風呂には入りたくない。というところで、以前に入ったことがあるが、長い事ご無沙汰している、調布は菊野台の寿湯に行く事ととした。
冬の風の冷たい時期、いくら普段から痩せ我慢をしている私とて、自宅から菊野台まで自転車で往復するのは無理が生じると思われる。痛いサラリーマンとなって後、あまり無理はしないこととしているので、ここはあっさりと、車で行く事とした。寿湯は道路から直ぐに見えるところに立地しているのだが、どういう加減か、目の前に駐車場があって、そのぐるりの細い道を回り込んで行かねばならない。細い道を辿るしかないのに、銭湯自体には、広い駐車場あるいは空き地とよぶべきものが付いていて、湯にくる客が全員、車でやって来ても間に合うくらいと思われるのが、ちょっと不思議なところだ。
この銭湯に美点は、私の好きな露天風呂が付いているところで、野川湯程ではないが、温泉にみられるような丸石で囲んだ風呂から、空を見上げることができる。また、この風呂の横にどういう訳か水風呂がくっついていて、同じく水風呂に入りながら空を見上げることができる。ただし、水風呂に入る人は大方、下を向いて、オシッと気合いを入れながら顔にも水をかけたりして、空を見上げる割合は少ないように思われ、何故、水風呂が露天にあるのか、不明である。
謎は続く。この銭湯、コミカ風呂という銘版が壁に取り付けられている。コミカとはナニカ、なんて話じゃないが、後でググってみたが分らない。軟水に関係しているようだ。朧げながら、以前というか相当な以前に、軟水が体に良い、という話が流行って、軟水製造装置をかなりの投資をして導入した銭湯が多かったらしいのだ。その装置を製造したメーカーのキャッチフレーズなのか、「コミカ風呂」というのを売りにした銭湯が各地に残っているのだ。今では、コミカの意味を知っているものが誰もいなくなって、コミカという名前だけが残っているようなのだ。別に追求するほどの事でもないのだが、気になる。(2009/2/12)
脱衣場には、貴重品は風呂ントへ、という貼り紙があって、風呂上がりの脱力感を倍加させている。寿湯には都合三日間、通った。
top定年になって会社で運動することもなくなった。実際、していなかったんだけれどね。ということで、このあたりで一度、自分の身体をメインテナンスすることとした。隣の駅の近くにフィットネスがあるので、早速申し込んだ。昨年の秋だ。最初に体脂肪を計ることに。20数%という数値が出て、メタボ寸前だ。まずはこれを減らしましょう、というトレーナーの言葉に素直に従うことに。提案されたメニューはランニングマシンで10分の準備運動、続いてストレッチ、終わったら筋トレ、最後に30分の有酸素運動というものだ。はい、わかりましたー。
毎日筋トレしても効果は薄いということなので、隔日に通うこととした。驚いたのは午前中は年寄り仲間ばかりで中には将来の自分を見ているような、歩くのがやっとのようなヨボヨボの高齢の方々もいて、なるほどね、病院にかかるよりは随分とマシかもねと納得した。自分はまだヨボヨボじゃねーぞという見栄があるので、なるべく午後に、それも会社員が仕事を終えてやってくるような時間に行くようにしたー 今は面倒なので朝も行ってるけどね。
通い始めてそろそろ半年にもなろうかというところで、どうなったかと言うと、あまり違いは現れていないように思われる。体重は2kg程度しか減っていないし。体脂肪も20%をまだ下回っていないし。あ、まだ続けますよ。このところ朝の目覚めがすっきりとした気がするんで。加齢の所為かもしれないけれども。
top京都は五山の送り火を見て来た。送り火と風呂屋がどういう関係にあるかと言えば、あまりないのだ。ないのだが、ここ数回、送り火の時刻になる前に、送り火を見る事にしている京大の角の百万遍の交差点の近くに風呂屋があるので、毎回、そこで汗を流すことにしているのだ。
この風呂屋、何の変哲もない京都の風呂屋で、近所の年寄りに混じって薬湯や泡風呂なんぞに浸かる。送り火までの時間はたっぷりあるので、湯槽から上がって縁に腰掛けたり、皮膚がふやけたところを見計らって、低い椅子に座って近所の商店の宣伝の帯のはいった鏡をみてぼんやりしたり。あ、湯槽に浸かる前にもちろん身体はきれいにしてますよ、最初に髪の毛洗う事にしてるから。時計をみて適当なところで切り上げて上がることとした。
風呂屋ののれんを上げるとすぐ目の前が百万遍の交差点で、もう人ごみとなっている。山肌でちらちらとライトの光が見えるので、おそらく準備をしている人達が最後の連絡を取り合っているのであろう。交差点の回りの飲み屋やカラオケの、灯りの向こうの暗闇をじっと見詰めていると、やがて大の字の端から赤い火が点いた。わずかの間に火が全体に回って山肌に大の文字が浮かびあがった。大の字の真ん中の炎が格別大きく揺れていて、松明がさかんに燃えているのが分る。これだけ大きな送り火であれば、振り返っても振り返っても文字が見えるであろう。見ていてほしい、もうすぐ消えてしまうのだから。これまで送ってきた人を指折り数えてみる。うからは順送りであればとうに覚悟はできている、はらからはみんな突然でいつまでも思い出が濃厚で随分と時間が経っているのに、一緒に歩いた場所までも思い出される。大の文字がおぼろに霞んで見えたが、やがて明らかに松明の灯りは下火となった。
さて、かおを上げて、送り火のたびに寄ることにしている近くの小料理屋へ向かった。風呂に入る前に予約を入れたが、送り火の後なら空いてます、ということで間もなく暖簾をくぐった店には、その通り自分だけであった。その後、客は続いてカウンターは埋まったのであったが。ここは鱧がうまい店だと信じている。もう一軒あったが移転してしまった。まずビールを頼むと、じゅんさいの突き出しが出た。鱧は何にしようか、先ずは、おとし。
今回の京都は新幹線で夕方に着いて、夜行バスで帰るという弾丸ツアーだ。別に一泊すれば良いのじゃないのという声もあったが、夜行バスというものにも乗ってみたかったのだ。だから夜更けまで時間がたっぷりある。冷やを飲みながら、鱧の天ぷら、鱧の炙り、ついでにうなぎの白焼、仕上げに鱧鮨を頼んだ。一年分の鱧を食べたのだった。店を出ると夜風が涼しい。まだ市営バスが走っていたので京都駅に向かい、終点では酔って眠ってしまったのを親切な隣の客に起こされ、八条口で夜行バスに乗った。夜行バスはツアー会社の運行なので何社もの係員が駅前広場に向かう車道脇に入り乱れて、案内の声を張り上げ、歩道は若者を中心とした乗客でごった返していた。目印とした係員から目を離すと置いてきぼりをくいそうな混雑ぶりであった。置いてきぼりをくったかと心配になり始めた頃、係員が手を挙げて予め告げられていたバスの番号を叫んだので、他の乗客とともにその後をついて、ぞろぞろとバスに向かったのだった。ちなみに今回は夜行バスとは言え、上等の席のあるバスを予約してあったので、バスに乗りこんでみると、それぞれの座席が小さなシェルで囲まれて互いに隔離された、上等風の車内の設えになっていた。深くリクライニングして、次に目が覚めたのは牧ノ原サービスエリアであった。午前三時半頃であったか。
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